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気の向くままに、心の記録

自称:ドルオタ(仮)。語りたがり。V6と一部韓ドルをゆる~く愛でてます。

自分のために書いてみた~K-POP好きな曲10選~

韓流アイドル 音楽

お薦めでも何でもなく、ただ今の自分の感性を記録しておくという意味で、幾つか好きな曲をあげる、という行為は、案外的を得ていて、将来振り返っても面白いかも知れない、と思いました。

 

というわけで、以下K-POPで好きな曲を雑感とともにあげてみます。

 

 

 

 

1.I(feat. Verbal Jint)/Teayeon

 

I (feat. Verbal Jint)

I (feat. Verbal Jint)

 

この曲は、とにかく歌っていて気持ちがいいです(※ラップ部分は除く)。声がどんどん伸び、世界が広がっていく感じ。

 

歌詞も情景が浮かんでくるようなとても素敵なものなのですが、作詞にテヨン本人が関わっていたのは驚きでした。自分の中で、とにかくメンヘラ、というイメージのテヨンが、こんなに爽やかな歌詞を書くなんて、と。

 

それから、私はソシの曲をそれほど熱心に聞いたことがなく、正直テヨンの歌のうまさが未だによくわかっていないのですが、この曲を聞いて、テヨンの歌が支持される理由が少しわかるような気がしました。

 

テヨンの声って、スッと耳に入ってくるんです。ソニのようなアニメ声でも、ジェシカのような金属質な声でも、ユリちゃまのようなこもり声でもない。テヨンの声は、太いけどくどくなくて、聞いていて疲れない。

 

そう考えると、誰にでも歌えそうなこの曲も、テヨンだからこそ成り立つ歌、なのかも知れません(とか言いつつ私カラオケでこの曲めっちゃ歌うけど)。

 

 

 

2.The Closer/VIXX

 

The Closer

The Closer

 

初めて聞いたときは、制服姿のイメージ画像に比べてなんて地味な曲なんだ、と肩透かしを喰らったものです。が、こちらは聞けば聞くほど好きになっていくスルメ曲。ジワジワと良さがわかってきます。音楽番組での成績はパッとしませんでしたが、何年かしたら長い脚を活かした振り付けとともに名曲に位置づけられていそうです。

 

ラスボスケンちゃんに全びょるぴ(=VIXXのファン)が歓喜した『Kratos』のタイトル曲であるこの曲は、ケンちゃんのパートが他の曲に比べてかなり多い気がしますが、ケンちゃんの曲、という印象はあまりありません。

 

今までも、もう一人のメインボーカルであるレオが、いい意味で何をやってもレオ、という強い個性を発揮していたのに対し、ケンちゃんの歌が目立つことはなかったように思います(というか『別れの公式』まで、VIXXは基本えねねん無双状態だったと思う)。

 

それがこの曲では、ケンちゃんの歌のその主張の弱さ(上手なのに全体から見ると何故か目立たない)を逆手に取り、他のメンバーに個性が活きる美味しいパートを与えつつも、全体としては誰か一人が圧倒的に目立つのではなく、一つの曲、一つのグループとして纏まりのあるものに上手く仕上げてきた気がします。

 

それから歌詞を見ていても、今までだと好きな人への思いをこじらせて憂鬱になり後ろ向きなものが多かったのが、この曲では、(相変わらず【お上品に】ですが)女性を誘惑していて、グループとしての成長・成熟を感じられます。

 

ちょっと前まで、VIXXで一番好きなのは「G.R.8.U」だったんですが(勿論今も好きですが)、今はこの曲が断トツで一番です。今のVIXXをよく表している曲だと思います。

 

 

 

3.蝴蝶少女(Don't Go)/EXO-M

 

Don't Go

Don't Go

 

私が思う12人時代のEXOの最も優れた点は、一つの曲をEXO-KとEXO-Mで聞き比べることができたこと、です。

 

爆発的に売れたのは、完全体として出した曲でだったけれど、12人EXOのウリは、EXO-KとEXO-Mの美しいシンメトリーだったのではないかと最近思うようになりました。

 

曲によってどちらのグループの方が好きかというのは変わってきますが、この歌に関しては、私は断然M派です。

 

この歌は曲調も歌詞もとても可愛らしく、非常にロマンティックです。幻想的であるというイメージが、中華組の2次元ビジュアルに重なります。また歌唱の面でも、全体的に声が細く優しい印象のMによく合うと思います。

 

(逆に同じ童話っぽい曲でも、過去を振り返っている「Peter Pan」では、深みのあるギョンスの声やハスキーなベッキョンの声が哀愁を感じさせるので、Kの方が曲の世界観に合うと思います。Mだとキラキラした思い出はKよりも鮮やかに浮かびますが、それを振り返ってるという感じはあまり上手く出せていない気がします。)

 

あともっと突っ込んだことを言うと、私のこの曲に対するイメージが、ルハン、なんです。この歌がルハンの甘くて優しい声によく合うということもありますが、この歌を聞くと、可憐な容姿でいつも控えめにニコニコ笑っていたルハンが思い浮かびます。

 

相次ぐ脱退で完全体に飲み込まれ、今や完全に消滅してしまったEXO-Mですが、曲を聞いているときだけは確かにそこに存在していると思えるので、Mっ子贔屓だった身としては、今でも無性に聞きたくなる時があります。

 

 

 

4.Airplane/F(x)

 

Airplane

Airplane

  • f(x)
  • ポップ
  • ¥250

 

この曲はとにかく歌詞が好きです。恋の始まりから終わりまでを、飛行機が離陸して着陸するまでに例えています。ふわふわしているようで、実はすごく冷静に物事を捉えているのではないかと思わせる部分もあり、それがなんだかすごくえぷっぽいなあと思います。

 

またボーカル組ではない三人の声、ソルリの綿あめみたいに甘ったるい声、アンバーのハスキーでどこか哀しみを感じさせる声、ビクオンマのちょっとこもった柔らかな声が本当に素敵で、この曲ではそんなそれぞれの声の良さがよく出ていていると思います。普段は隠れがちな三人の声を楽しめるのがよいです。

 

収録アルバムの『PINK TAPE』は、この曲に限らずいい曲がたくさん詰まってるし、アートワークもかなり凝っていて名盤だと思います。付属の写真集の中にはカイスタルもありますが、今見てもこの二人は絵として最強です。カイスタルに抵抗がない人だったら絶対にお薦めします。

 

ところで、えぷはこの曲然り、『Electric Shock』の「Jet」然り、『RED LIGHT』の「MILK」然り、タイトル曲ではない曲の方が、皆の持つえぷのイメージに近いのはなぜでしょうか。

 

ティーザーと実際に公開されるタイトル曲の持つ空気が全然違う、ということが定着しているのは、クリエイティブ・ディレクターであるミン・ヒジン大先生が、F(x)という最高の被写体を前に舞い上がり、タイトル曲を無視して自分がやりたいことをやっているだけだからだと思うのですが。

 

ただヒジン大先生は曲には合っていなくても、必ずえぷに合うものを当ててくる辺り、憎めないですよね。でもこれもこれで結構大問題なんじゃないかなあ...。まあ何をやらせても様になるくらいえぷのポテンシャルがすごいってことで!(←逃げた)

 

 

 

5.I Wanna Love/TEENNTOP

 

사랑하고 싶어 I Wanna Love

사랑하고 싶어 I Wanna Love

 

TEENTOPの良さとは何かを考えたとき、一番最初に浮かんできたのは、軽さ、でした。

 

どんなに悲しい歌詞の曲を歌っても、好きな人に対する気持ちが強すぎて大暴走な前のめり系執着男子・INFINITEや、好きな人を大切に思うあまりその思いをこじらせる憂鬱貴公子・VIXXのような、重さや暗さが彼らにはありません。

 

ティンタプのように悲しみをさらりと表現するグループは、数多のアイドルがひしめくK-POP界でも珍しい気がします。

 

私はひねくれた人間なので、重い曲や暗い曲が大好きなのですが、そういう曲を聞き続けているとしんどくなることもあるわけで、そういうときにティンタプの曲をよく聞きます。

 

この曲もティンタプらしい爽やかな悲しみが光る一曲で、失恋して辛くて苦しい思いをしたけれど、また恋をして、そして愛したい、という気持ちを歌っています。

 

ティンタプに対するイメージって、曲でいうと「Be ma girl」みたいな元気で明るいイメージが強いのかなあって感じるのですが、表現者としての彼らにしかない良さは、先述の通り、むしろこういう悲しい曲でこそ発揮されているので、こういう曲も広く聞かれるようになるといいなあと思います。

 

余談:音楽番組では無冠に終わりましたが、ティンタプの「To You」はダンスも含めてK-POP史に残る名曲だと信じております。初一位の「CRAZY」より、「To You」の方がティンタプのよさ・らしさが絶対出てると思う。

 

 

 

6.イゲ ムスン イリヤ/B1A4

 

イゲ ムスン イリヤ ~What's Happening

イゲ ムスン イリヤ ~What's Happening

  • B1A4
  • ポップ
  • ¥250

 

「歩いてみる」や「LONELY」も、びっぽの持つ繊細な魅力を感じられて好きなのですが、頭の中で突如流れる回数が圧倒的に多いのはこの曲です。サビの「イゲ ムスン イリヤ イロケ チョウン ナレ」や「wassup wassup tell me tell me wassup」がとにかく耳に残ります。

 

ジニョンさんの実体験に基づいて作られた、彼女に浮気された男の気持ちを歌ったこの曲は、悲しいはずなのにとってもコミカルです。

 

びっぽの曲は、繊細なものと、コミカルで可愛いものとに分けることができると思っていて、どっちのタイプも素敵なんですが(びっぽの曲は総じて耳あたりがよく、優しいような)、私は後者によりびっぽらしさ、びっぽにしか出せない色を感じます。

 

悲しい内容の曲におけるびっぽのコミカルさは、先ほど言及したティンタプの軽さと並んで、いい意味でかなり異質で、武器なんじゃないかなあ。

 

 

 

7.SherlockSHINee

 

Sherlock (Clue + Note)

Sherlock (Clue + Note)

 

2008年デビューで見かけ以上に長いキャリアを積んできているSHINee。色んな曲がありますが、陰か陽かで言ったら、彼らの曲に対するイメージは間違いなく、陽。私の中で、彼らは名前の通り明るくキラキラした王子様、幸せな明るい曲を歌っているという印象がとても強いです。

 

今自分が夢中になっている憂鬱貴公子VIXXの世界観と丁度対になるのが、キラキラ王子SHINeeの世界観かも知れません。

 

私はどちらかと言えば、明るい話よりも暗い話に惹かれるタイプなので(二回目)、しゃいにー先輩のキラキラした世界には本格的に足を踏み入れませんでしたが、彼らこそアイドルの王道だなあと思います。

 

この曲は、歌やダンスの技術的な面での平均値の高さはK-POP随一、と言われている彼らのかっこよさを、存分に楽しめる曲です。

 

探偵がモチーフになっていますが、個人的には、キラキラ王子が冒険に出て逞しさを手に入れる希望と光に満ちた曲、と思っております。

 

 

 

8.Fiction/BEAST

 

Fiction

Fiction

 

びっぽやしゃいにーもそうですが、びすとの楽曲って粒ぞろいだよなーと思います。アルバムを通しで聞いたことがないため、偉そうなことは言えないのですが、とにかくタイトル曲にははずれがない。びすとは他のグループのファンからも、曲がかっこいいよね、って言われているのが印象的なグループです。

 

そんなわけで中毒性の高い「Beautiful Night」や、意外な魅力が詰まった「How To Love」など、好きな曲はたくさんあるのですが、BEASTと言えば、やっぱりこの曲、と思ってしまう私は、きっと色んな意味でツウではないのでしょう。

 

でも、同じメロディーを何度も繰り返す感じとか、美しい表現だけど好きな人に対してかなり執着している内容の歌詞とか、サビの特徴的な振り付けとか、所謂K-POPらしさ、が詰まっているのがこの曲の良さだと思うし、そういうところが私は好きです。

 

 

 

9.SOMEBODOY TO LOVE/BIGBANG

 

SOMEBODY TO LOVE -KR Ver.-

SOMEBODY TO LOVE -KR Ver.-

  • BIGBANG
  • ポップ
  • ¥250

 

私が初めて好きになった韓流アイドルはティンタプでしたが、K-POP、つまり楽曲に対しても興味を持つようになったのは、BIGBANGを好きになってからです。ビジュアルを見て、これはないわ、と思ったBIGBANGですが、この曲で一気に落ちました。

 

この曲を聞いて私が思い浮かべたのは、愛に飢えた若者が、寒い冬に薄着で一人高層ビルの屋上にいて、ひねくれ、感傷に浸りながらも、何かを見つけようと大都会の夜景を眺めている、というもので、それが当時の私自身の在り様にどこか似ていたからなのか、ピコピコ電子音がストン、とそのイメージとともに心に入ってきたのでした。

 

この曲は、日本でシングルのカップリング曲として出されたもの(「SOMEBODY TO LUV」)と、それを作り直して後に韓国で出したアルバムに収められたもの(「SOMEBODY TO LOVE」)とがあります。

 

私が最初に聞いたのは前者ですが、制作に関わったG-DRAGONが、納得のいく形にして出したいと思った、と言うだけあって、韓国版の方が歌詞や音の構成がより練られたものになっています。

 

韓国版の最後の大サビ前のパートの歌詞、和訳すると「誰かと別れ 誰かをまた探して/誰かの男として 女として 僕は誰?/誰かと誰かを /誰かの男として 女として 君は誰?」となるそうで、これは安易にまとめられたような印象を受ける日本版の歌詞とは違い、かなり深い部分を衝いている気がして好きです。

 

二番のサビ前のパートにおけるヨンベの声にしても、甘くて太くて濃いのが彼の声の魅力ではありますが、日本版だとこのパートは全部英語ということもあってか甘さが強く、曲に合った軽快さが足りない気がするのですが、韓国版だと日本版よりちょっと低く聞こえるし、そこはかとなく男らしさを感じさせつつも軽快でクールな感じが曲によく合っていると思います。

 

 

 

10.Julia ーJapanese Versionー/INFINITE

 

Julia

Julia

  • INFINITE
  • ポップ
  • ¥250

 (※日本語版が出てこなかったので、とりあえずオリジナルの韓国語版をあげています)

 

日本のK-POPファン界隈では、色んな観点から見て日本語版は作らなくていい、という声をよく聞きます。私も基本的にはそういう考えなのですが、この曲は原曲の持つ空気を失わずに、日本語に置き換えるのに成功した曲だと思います。 

 

実を言うと、韓国で出されたオリジナル曲を聞く前に、日本語版をかなり聞き込んでしまった、ということもあるのですが、この曲に関しては日本語版あるあるの謎の歌詞(なんでこうなった?)にはなってないと思うし、あながち間違いじゃない、はず!

 

ピニの曲は陰か陽でいうと陰のイメージだと思いますが、切ないけれど可愛らしいこの曲と、ピニの曲ではかなり珍しいであろう、これぞ陽、な「Man In Love」という曲だけをとにかく聞いていた時期があったので、好きな人に執着する男の気持ちを歌った、ピニらしいと言われているような曲を聞くと、とても新鮮に感じられます。

 

 

 

 

...とまあこんな感じですかね。

 

書いていてちょっと不思議だったのは、そうしようと考えていたわけでもないのに、贔屓にしているグループの曲に偏らなかったこと。

 

私は、贔屓にしているグループ以外の人たちの曲は(過去贔屓にしてい人たちのものは別として)、好みでない限りまるで聞かない人間なので、この結果はちょっと意外でした。

 

ていうか、あれだ、重い曲とか暗い曲が好きだと言ってる割に明るい曲や可愛い曲が多いのは、潜在的にはそっちの系統の方が好きってことなんですかね?

 

あるいは今の私は、大好きな重い曲や暗い曲も聞けないくらいに疲れている、ということなのでしょうか?

 

(あ、コレは大いにあり得るな...)

美人になりたい女の話

その他

彼女は華の女子大生だが、流行りの服に身を包むことや化粧をすることやお洒落な髪型にすることにあまり興味がない。



身軽さを捨ててまで着飾りたいとは思わないので、いつもパーカーにジーパンにスニーカー。本当はもっと楽なスウェット上下とかジャージ上下で登校したいけれど、運動部でもないのにそれはどうかと思う、と周りに止められたので我慢している。


化粧をしたり、髪の毛をセットするのに時間を割くくらいなら、睡眠を取ったり、ごはんを食べるのをゆっくりと楽しみたい。あんまり肌荒れとかしないけど、化粧は肌に負担がかかるだけで上手くできないし、落とすのも面倒だ、髪の毛は櫛で梳いて邪魔にならないようにまとめておけばそれで十分。



彼女がそのように説明したら、彼女の友人はこう返した。それはあなたが美人だからだ、と。



友人の言葉には毒も棘もなかった。それはとてもさらりとしたもので、いつもの調子であった。もともとこの友人は彼女とは正反対で、言葉をあまり使わない。それは短くはない付き合いの中ではっきりと分かっていることだ。しかし、返ってきた言葉が言葉だっただけに、彼女はしばし考え込んでしまった。



彼女は自分のことを特に美しいとは思わない。そしてまた醜いとも思わない。敢えて言うなら、自分の容姿はこんなものだ、と思うだけだ。もしかしたら、それこそが自惚れだと言われるのかも知れない。でも彼女は、自分の容姿は少なくとも自分にとって美人と呼べるようなものではない、と思っていた。



そもそも何を美とするのかは、個人の感覚の問題だ。勿論多くの人が美しいと感じるものというのは存在するが、それが正解というのではない。



例えば彼女は、女優の范冰冰(ファン・ビンビン)のことを范冰冰様と呼び、その美しさを崇め奉っているが、彼女の母は、范冰冰のことを特に美人だとは思っていないし、なんだか品のない顔だねえ、などと宣う。


逆に母が美人だと言う、すみれのことを、彼女は美人だとは思わない。ものすごく性格の良い素敵な女性だとは思うけど、でもやっぱりどう見たってすみれは彼女にとって美人ではないのだ。



つまり、彼女が自分では美人ではないと思っていても、友人は彼女のことを美人だと思っている、ということはあり得なくはない。



あるいは友人は、別に彼女のことを美人だとは思っておらず、ただ身なりに無頓着すぎる彼女のことを、ちょっと回りくどい言い方で窘めようとしたのかも知れない。


この友人は、重要な途中式を飛ばして、結論だけをポーンと相手に投げる節がある。とすると、これは何も不思議なことではない。


彼女はそんなことを考えたが、結局友人の真意を掴むことができなかった。



しばらくして、特に返事を待っているわけでもなさそうな友人に、彼女は言った。なんとも言えない曖昧な笑みを浮かべながら、そんなことはない、と。



彼女は内心、美人だ、と言われて舞い上がっていた。事実おめでたい彼女は、その日家に帰ってすぐさまその出来事を母に報告した。友人からあなたは美人だと言われた、と。


幸か不幸か、母は娘ほど露骨に美醜に拘る人ではなかった。思ったような反応を得ることができなかった彼女は母に向かって大いに不満を示したが、それでも相手にされなかったから、最後には不貞腐れて自室に籠った。


彼女は何か特筆すべき出来事や教訓があった時にだけ筆を取り、日記帳と称したノートに向かう。


“今日私は美人と言われた。すごく嬉しくて母に報告したが、ビックリするくらいに反応が薄かった。ちょっとショックだけどまあ気にしない。だって私は美人なんだから。”


その日は久々にノートを開いた日だったので、上の文章を書いたところで、ページをパラパラと捲って遡り、いつのまにか一番最初のページにまでたどり着いた。そしてそこに並んでいた文字を見て、彼女は、あ、と短く言った。


初めのページには次の文章が書かれてあった。


“美人とは、まず第一に他人からの称賛にとびきりの笑顔で応えるものである。そして自分のことを美人であると思っていたり、自分が美人であるとわかっていても、決して人前では自分のことを美人とは言わない強かな者である。ただし美人の中でもさらに美しい者たちだけは、自分を美人だと言っても許される。ちょっと美人だと言われただけで、気が狂ったように浮かれたり騒いでしているのは、美人でもなんでもない、本当に取るに足らない者たちばかりである。”



斯くして彼女は、過去の逞しい限りの自分自身によって打ちのめされた。



彼女が美人になれる日は果たして来るのだろうか?






彼女とは、何を隠そうこの私である。

きみはアイドル~日韓アイドルを見比べて思ったこと~

韓流アイドル ジャニーズ

「日本のアイドルと韓国のアイドルの違い」というのは、頻繁に取り上げられている議題だと思うのですが(特にK-POP界隈)、今日は無謀にもそれについて語ってみようと思います。



本題に入る前に論者である私自身の立場を明かしておきます。


私はドルオタを名乗ってはいるものの、その度合いはおそらくかなりライトです。ブログで暑苦しい思いをぶちまけている割に、彼ら彼女らにお金を落としていないし、イベントなどの現場には滅多に行かないので、所謂茶の間ファンと言って差し支えないでしょう。


日本のアイドルで追いかけている(いた)のは、ジャニーズだけで、女性アイドルで知っているのはせいぜいモーニング娘。AKB48くらい、韓国のアイドルも自分が贔屓にしている(していた)グループ以外は、ほとんどわかりません。


また私は音楽やバレエやジャズやヒップホップなどの踊りの素養が皆無な人間です。


そんな訳で、本格的な比較・評論からは程遠く、本当に思ったことをただひたすらに語るだけになりますが、そんな素人目線な語りを楽しんで頂ければ幸いです。





では、本題に入りましょう。


日本のアイドルと韓国のアイドルの違いは何か、私が一番大きく感じ、最も重要だと考えている違いはこちら。


「“自分の職業はアイドルである”という意識の差」


これ説明するの難しいんですけど、日本のアイドルは、「自分はアイドルだ」という意識が強いように思います。アイドルらしい振る舞いをしているか、ということはさておき、「自分は世間からアイドルと思われている」という意識が強い。一方で韓国のアイドルは、「自分はアイドルだ」という意識が日本のアイドルほど強くないと思うんです。


例えば、日本のアイドルは「私はアイドルです」というようなことをよく口にすると思うのですが、韓国のアイドルはあまり自分のことを「アイドル」とは言わない気がします。「あなたの職業は何ですか?」と聞かれると、殆どが「歌手です」と答えていて、「アイドルです」と答えている人はごく稀です。



この違いは、今の職業に就いたきっかけや理由を答える場面でも同じです。


V6の剛くんに憧れてジャニーズ入りした関ジャニ∞の大倉くんや、モー娘。が大好きで自分もアイドルになったHKT48さっしーのように、日本では「アイドル」に憧れて「アイドル」になった、という人が結構多いと思います。


一方韓国では「アイドル」になりたくてなった、と言う人はものすごく少ないです。例え憧れの人が「アイドル」と呼ばれる存在で、現に自分も「アイドル」に分類される存在であっても、憧れの人を見て、自分も「歌手」になりたいと思った、と言う人が多い。


憧れの存在を「アイドル」ではなく「歌手」と捉えているのか、ということは曖昧ですが、何にせよアイドル本人たちが「アイドル」と名乗ること、呼ばれることを、嫌う、避ける、そんな傾向が強いような気がします。


韓国のアイドルは、「スター」とか「アーティスト」とか「セレブリティ」と称されるのを好みます。BIGBANGを擁するYGの「私たちはアーティスト」感をやたらと醸し出してくる感じとか、最大手のSMのイ・スマン大先生の「これからはセレブリティの時代だ」みたいな発言(正直この発言というか発想はクソダサいし、だいぶイタイと思う)とかもろにそうです。


よくわからないけれど、韓国のアイドルは欧米志向なのかなあと思います。ディズニーアイドル出身で今ではすっかりセレブリティになっているマイリー・サイラスみたいな、出てきたときは「アイドル」でも、どこかで「脱アイドル」していく感じ。


なんだろう...「アイドル」でいられなくなる前に「脱アイドル」をすることによって生き残ろうとする、というのかな。「アイドル」は基本的に若くて新鮮で、カッコよくて可愛くて、キラキラしていることを求められる存在だから、年を重ねていくなかで、いつまでも「アイドル」でいることは難しいです。


そう考えると「アイドル」よりも「アーティスト」を目指したりだとか、「脱アイドル」に舵を切る、というのはごく自然な事なのかもしれません。


というか、これって逆に日本のアイドル文化が世界の中ではかなり特異なことがわかりますよね。


日本は「アイドル」の息が長いと言われていて、たとえばジャニーズの40過ぎのオジサンをなんの躊躇いもなく「アイドル」と呼んでいる。司会者や役者、バラエティー番組の雛壇タレントとしての活動もあるけど、彼らは「アイドル」で在り続けています。よくよく考えるとちょっと怖い気が。


ジャニーズって、日本のアイドルのなかでも特殊でもはや「ジャニーズ文化」を築いてる感じがします...ってあれ、ジャニーズについて語るところじゃなかった!



でも私は入りがジャニーズなので、ってジャニーズにこだわりすぎるのはあんまりよくないとわかってはいるのだけれど、だけどやっぱり私がアイドルにハマったのはジャニーズがきっかけで、それがすごく楽しかったから、コロコロ対象を変えながらもこうしてドルオタを続けているのです。


韓国のアイドルにはジャニーズとはまた違った韓国のアイドルならではのよさが勿論あると思うけど、あくまで私は「ドルオタ」なので、私が追いかけるのは、私が追いかけたいのは、あくまでも「アイドル」であって、「アーティスト」ではないんです。


(あ、今ふと思ったんですけど、私がBIGBANGに冷めた理由の一つは、彼らを「アイドル」として見れなくなったからなのかも知れません。)


韓国のアイドルの中で私が今最も推しているVIXXも、自らを「アイドル」と名乗ることがほとんどないグループで、もれなく「アーティスト」志向の持ち主ですが、私は彼らをものすごく向上心のあるえげつない「アイドル」だと思っています。


少なくともCDの発売の際にサイン会や握手会やハイタッチ会を開催するというのは、楽曲そのものではなく本人たちと会えるということを売りにしているわけで、そしてそれは「アイドル」がすることだと私は思うから(まあ私はその手のイベントには全く参加しないけど)、VIXXに限らずこういうイベントをしている人たちについては、どれだけ本人が「私はアーティストだ」と思っていたとしても、「きみはアイドルだ」と思います。


楽曲が超絶お洒落だとか、歌やラップがめちゃくちゃ上手いだとか、振り付けが難しいけど完璧に自分のものにしているとか、確かにそれはそれで素晴らしいけど、結局「その人がしているから」というところに全ての好きが集約される限り、その人は「アイドル」なのだと思うのです。



韓国のアイドルが「アイドル」を避ける姿を目にするとき、「アーティスト」になりたい気持ちはわからなくもないけれど「アイドル」を低い場所にあるものとして捉えないで欲しいな、といつもいつも思います。


歌唱力に優れていたら、ダンスがすごく上手だったら、「僕は、私は、アイドルじゃない」、なんて言わないで。


歌唱力に優れている、ダンスがすごく上手だ、「僕は、私は、そういうアイドルです」、と胸を張って笑顔で言ってくれたら。


反対に、


歌が下手だから「アイドル」、ダンスが下手だから「アイドル」、顔がいいだけだから「アイドル」、なんじゃなくて。


歌が下手でも、ダンスが下手でも、顔がいいだけだと言われても、人を引き付ける力があるなら、それだけで立派な「アイドル」。


求めるものは本当に人それぞれで全然違うけれど、そんな求めるものが全く違う人たちが一つの枠の中で楽しめてしまう、それが「アイドル」で、それって本当に本当にすごいことだから、「アイドル」は偉大な存在だと私は思います。


もし我が愛しのVIXXが「僕たちはアイドルではなくアーティスト呼ばれたい」と面と向かって言ってきたとしても、私は「きみたちは素晴らしいアイドルだ。アイドルはアーティストになれるかも知れないけれど、アーティストがアイドルになれることはない。私は偉大なアイドルのきみたちが好きだ。」と言うでしょう。


「ドルオタ」としては、できるだけ長く「アイドル」でいて欲しいというのが本音です。




日本と韓国のアイドルの違いを語るつもりが、最後はドルオタの自分勝手な願望をぶちまけただけになっちゃいました。でも、ドルオタが「アイドル」について語ろうとすると絶対こうなると思います。繰り返しになりますが、同じアイドルを好きでも、そのアイドルがどんな存在であるか、というのは人によって全く違うから、どうしようもないです...っていう言い訳(笑)。


色々書き散らしましたが、私は「ドルオタ」なので、日本、韓国を問わず、「アイドル」がキラキラ輝いている世界であればいいし、そういう世界のなかで生きていきたいと思っています。


以上!




追伸

親愛なる岡田氏、陸上競技界における私の最強アイドル・アリソン、最近気になるびっぽのジニョンさん、お誕生日おめでとうでした。

岡田准一アリソン・フェリックス、チョン・ジニョン、この3人が同じ11月18日生まれってなんかすごくないですか?

素敵な偶然...!!!

MVの呪縛を解く~2016年VIXX3部作を見て思ったこと~

韓流アイドル

つい先日、我らがVIXXの、2016年VIXX流ギリシャ神話概念3部作の完結編にあたる『Kratos』が発表されました。


きっとみんな首をながーくして待ってたよね?
わーい、ぱちぱち。やっと3つのMVが出揃ったー。



さて、この3作品に対する私の反応はというと...


第1部の『Dynamite』では、それまでになかった含みを持たせた見せ方に違和感を持ち、
第2部の『Fantasy』では、その本気さと壮大さを受け止めきられずに落ち込み、
第3部の『The Closer』では、もう知らねえ!と思いました。


はっきり言いましょう。


私はこの3つのMVが嫌いです。


...あ、嫌いは言い過ぎかな。


まあとにかく好きではないです。


いずれのMVも通しで見たのは一度きり、多分これからも熱心に見ることはないでしょう。


でもね、別にそれでええやんか、って思うんです。


無理に好きにならんくてもええやん、って。





ぶっちゃけると、公開直後に『The Closer』のMVを見て、ああまたこのパターンかい!ってめっちゃ腹立てました(笑)。


それで「MVにおける謎解き遊びの強要は止めてくれ」って題で、何故自分はこの一連のMVが嫌いなのか理由を書いて、記事としてあげようとしてたんです。


こんな感じで。




私は見た目至上主義者なので、MV鑑賞においては、ヴィジュアル以外はさほど気にしません。


ヴィジュアル面以外を見る気も掘る気もないし、掘るために必要な知識や技術や根性もありません。K-POPを語る上では欠かせないコンセプトにもほとんど興味がありません。それでも十分楽しめました。


ところがVIXXの前に追っていたEXOの『CALL ME BABY』のティーザーや『LOVE ME RIGHT』のMVで、抜けたメンバーを思わせるようなカットを目にし、非常に不愉快な思いをしてからは、何か含みを持たせたような、何かを仄めかすようなカットに過剰に反応するようになり、それまでのように純粋に楽しむということが難しくなりました。

所謂トラウマってやつです。


コンセプトドル(=コンセプトを消化し具現化するのが上手いアイドル)たるVIXXは、一目見ただけで何であるのかがわかるというのがウリなわけで、それ故に彼らのMVは意味深カットが非常に少なかったと思うんです。


これは私がVIXXにハマった大きな理由の1つで、VIXXのMVは安心して見ていられる、本当にありがたいものだと思っていたのに、今年発表された3つの作品はいずれも意味深カットが満載で、言葉は悪いけど、裏切られたって思いました。



そもそもVIXXの中には、好みの顔の人がいないんです。


顔はそんなにタイプじゃないけどハマったアイドルというのは過去何人もいるけれど、私のドルオタ人生の扉を開いたのは岡田くん(毎度お馴染みV6岡田准一氏)の美しい顔だったので、どうしても顔にこだわってしまうところがあります。


無論、キレイ、カッコイイ、と思うのと、好みであるか、というのはまた別なので、いくら世の中にアイドルが星の数ほど存在するとは言え、好みの顔の持ち主に出会うことはなかなかありません。


K-POPの中で好みの顔と言えば、もう中国に帰っちゃったけど、EXOのクリス兄ちゃんとタオちゃんぐらいです。


彼らくらいドストライクな顔の人だと、どれだけ変な髪型にされようが、奇抜なメイクをされようが、理解不能な服を着せられようが構わないんですよね。


似合う似合わないはあるかも知れないけれど、美しい顔面の前ではすべてがどうでもよくなっちゃう。


私が意味深カットを乗り越えるには、それくらい好みの顔の人がいないと駄目なのです。



それから、VIXXが今年1年のテーマとしてギリシャ神話を取り上げていると知った時、曲がりなりにも文学部に籍を置く身として、非常に危険なことだと思いました。


私は、K-POPにおけるコンセプトはあくまでアイドルの魅力を引き出すための道具だと考えています。


だからヴァンパイアやサイボーグぐらいならともかく、ギリシャ神話という、それ自体が宇宙のような広がりを持った思想・哲学となっているものをコンセプトにする、というのは如何なのものかと。


浅学なのでMVを見ても何がなんだかさっぱりわからないし、VIXX本人たちを含め、制作者側にどの程度の理解があるのかなんて見当もつかないけれど、やはり引っかかるところです。




こんなふうにだらだらと書いていて、でも気付いたんです。


確かにこの3つのMVは好きじゃないけど、私はVIXXのことが嫌いなわけじゃないよな、ということに。


『Dynamite』では軽快な曲に合わせてどこか楽し気に歌い踊るVIXXが見れてそれはそれでよかったし、

これはあかんやつやついていかれへんと思ってた『Fantasy』だって今になってめっちゃええ曲やと思えてきたし、

こんなん地味すぎるやろと思った『The Closer』にしても昨日あたりから脳内をジャックしてるし。


MVは好きじゃないけど(←しつこい)、音楽番組のパフォーマンスを見ていると、やっぱりカッコイイよなって思うんです。もっと彼らの魅力を伝えたいのにその言葉しか出てこないという状態になる。


MVで彼らが謎解き遊びを提供していることは確かだけれど、謎解きを強要されているというのは間違いで、それは自分が勝手にMVにこだわりすぎていただけなんだと思うんです。



もとはジャニーズ沼にいた私が韓流沼に移ってきた理由は色々あるけれど、MVのFull視聴ができる、というのは大きな理由の1つでした。


ジャニーズではMVをFullで見るとなると、CDの初回限定版を買うとか、MV集が出るのを待たないと叶いません。それがK-POPだと自由に見ることができるのです。こんなにありがたく嬉しいことはありません。


だから私は手当たり次第にMVを見ていました。好きなアイドルができても、音楽番組でのパフォーマンスは殆ど見ずに、MVばかり見ていました。


K-POPアイドルは被せの場合もあるけれど、音楽番組では基本的にちゃんと歌います。踊りながら歌うのでやっぱり声が震えたり、音を外したりもするし、踊りにしても手抜きなのかガス欠なのかというメンバーがちらほらいたり。


あとMVは1つの世界でもあるので全体の雰囲気でいいなと思っていても、歌番組の模様を見ると、あれこの人らブサイクやん、ってなることが多く、ガッカリしたくないから、MV中心だったんです。



VIXXのMVがどうしても受け入れられなくて、仕方がないから音楽番組でのパフォーマンスを見てみたら、これがいい。


完璧ではないかも知れないけれど、彼らが全力を尽くしているのがよくわかって、なんかもう泣きそうになってくるし。彼らはやる気と迫力が半端ない。


MVも大事だけれど、それにこだわってばかりで、肝心なところを見落としていたんだなあとしみじみ思いました。彼らが最も見て欲しいのは、舞台の上での姿ですもんね。



MVが嫌なら見なきゃいいんです。


そのMVを彼らが半端な気持ちで作ったのではないとわかっているから、器が小さくて好きになれないのがちょっと残念だけど、でも無理をすることはないと思うんです。


MVは好きじゃないけど、私は彼らが好きなんだから。そういう軽さがあったっていいじゃないか。


誰だって、苦しくなるためや、修行するために、アイドルを追っかけているんじゃないんでしょう?





さて、これから我らがVIXXは、一体どこへ向かうのでしょうか。


多分VIXXがこれから爆発的に売れる、ということはないでしょう。ブレイクした曲が曲だっただけに、VIXXが天下を取るには、大衆性を獲得するというのが絶対条件です。


それは多分本人たちが1番わかっていて、『呪いの人形』で1位を取ってからは、オタクにも一般にも受けるようにとあれこれ試行錯誤していたけれど、ここにきてそれは諦めたのかもしれないと思いました。


諦めたというか、少なくとも今年出した3部作は全体を通じてみると、大衆的ではなかったと思います。


『Fantasy』なんかはファンの中でも難解だという声がよくあがっていました。音楽番組での応援もかなり苦労していた印象があります。



『傷つく準備ができている』から始まった2013年の快進撃のときは、コンセプトが、

ヴァンパイア➡二重人格①②➡呪いの人形

で、見た目にインパクトがあって非常にわかりやすかったので、色んな意味で人目を引きました。


しかし、さっきもちらっと書きましたが、今年のコンセプトのギリシャ神話はそれ自体が宇宙みたいなものなので、これを今までのようにかみ砕いて消化して具現化するというのは、難しいです。


難しいというか、まあ無理だと思います。受け取る側も混乱します。MV1つとったって、もともと私のように掘れない人はともかく、掘れる人・掘ってみた人でもわからんことだらけでした。


おそらくそうなるであろうことはわかった上で、ギリシャ神話を選んだのだと思います。そういう壮大で難解なものを選んだということが、もうすでに制作側の強い意思の象徴です。


今までと似ているようで全く違って、ファンのみんなにも驚かれるだろうけど(だって驚かすためにギリシャ神話を選んだのだ)、それでも「よくわからないけど、なんかすごい」と思われることが今年のテーマだったんじゃないかなあ。


他のグループのファンからも一目置かれる存在になって、K-POPファンの中での評価を高める、K-POPの中での地位を上げる、ということをかなり考えていたのではないかと思います。


直接のファンは言うまでもなく大切ですが、他のグループのファンの中に、自分たちのグループの色やあり方を評価してくれる間接的なファンがどれだけいるかにグループの真価があると言えるでしょう。


VIXXはもともと他グループのファンからの評判がよいグループでしたが、今年の活動を見て、かなりこの間接的なファンが増えただろうと思います。




今書きながらふと思ったのですが、

急がば回れ

なんやろうなぁと。


VIXXは大衆性をなかなか獲得できないから、天下取りを諦めて独自路線を追及することにしたのかと思っていたけれど、きっとそうではなくて。


私はこの半年の間で、彼らがいかに執念深く、牛のように一歩一歩、でも着実に堂々と進んでいく人たちであるかということを、まざまざと見せつけられました。


そう、彼らは決して諦めないし、そんな生ぬるいやつらじゃない。彼らは他のグループに比べて随分先を見据えているように見えます。


賢い彼らのことだから、アイドルにとって最も大事なことは、天下を取ることではなくて、どれだけ長く活動できるか、どれだけ長く輝き続けることができるか、ということだとわかっているのでしょう。


だから個性を捨てるなどの無理や無茶をして天下を取りにいくのではなく、個性を捨てずに少しずつ幅を広げながら着実に評価を高めることで揺るぎない地位を得ること、そしてその結果として天下を取る、ということを本気で考えているのではないかと思うのです。





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\素敵すぎるぜこのヤロー!!!!!!/

23

その他

美しいものが好きだ。



何においても最初の判断は、美しいかどうかということだ。そして私はその判断に異常に重きを置く。
美しいものは殆ど手放しで称賛するが、美しくないものは、はいさようなら、ってなもんだ。



美しいと感じられるものがあると、嬉しくてたまらない。本当に美しいものにお目にかかれると、涙が出そうになることもある。



世の中には美しいものがごまんとある。
だがしかし、その殆どは、美しくないものと一緒に流れて行く。



だって私には、全てに反応し続けるだけの時間もお金も心もない。





私がアメリカの俳優、リヴァー・フェニックスを知ったのは、中学1年生、13歳の時だ。その頃よく読んでいた洋画雑誌の中に彼はいた。



射抜くような鋭い眼差しと、相反するような繊細な雰囲気を持った青年を見て、カッコイイ、でも、綺麗、でもなく、好きだ、と思った。彼は端正な顔立ちの、美しい若者だった。
私はすぐに彼に夢中になった。




私が初めて彼の出演作を見たのは、昨年の丁度今頃である。



大学の空き時間を、映画でも見て潰そうと思って図書館に行き、さて何を見ようかと考えながら棚にずらりと並んだDVDを眺めていると、彼の出演作が目に留まった。
スタンド・バイ・ミー』。
彼の代表作の一つであり、また青春映画の金字塔とも呼ばれている作品である。



本編を見る前、パッケージを見て驚いた。少年リヴァーは、案外ゴツい。
パッケージには、主要登場人物である少年4人組の写真が使われていたのだが、パッと見では誰がリヴァーかわからなかった。



というのも、繊細な雰囲気の美しい青年ということから、私は線の細い少年を想像していたのだが、彼はそのような容姿ではなかったのである(主役を張ったウィル・ウィトンの方がよっぽど儚げであった)。



それ故に彼を美しいとは1ミリも思わなかったし、結果的には自分が持っていたリヴァー・フェニックスに対する偏見みたいなものが崩されてよかったと思う。



見終わって一番最初に出てきた感想は、“ああ、リヴァー・フェニックスはいい役者だったんだな”、ということだった。
彼が演じたクリスという役自体が非常に魅力的なこともあるが、それを考慮しても、彼がいい役者であることに変わりはないと思った。



(映画自体の感想を言えば、見ている最中に「うわぁ」となるようなことはなかった。この映画のよさは、見終わってから時が経てば経つほど身に染みてわかる種類のものだと、今思い出しながら、思う。)




昔あれほど心躍らせた彼の写真を見ても、今の私はもう特に何も思わない。美しいけれど、前のように騒ぐことはない。好きなことに変わりはないけれど、種類が違うのだ。



昔のリヴァーへの気持ちは、多分そんなに真剣なものではなかった。
贔屓にしていたアイドルグループにひと騒動あって、呑気に応援できなくなったところに現れたのが彼だ。あの時丁度雑誌で見かけた彼は、言ってしまえば「渡りに船」だった。
ワーキャー騒ぐことができるくらい美しいものなら、きっとなんでもよかったのだ。




今のリヴァーに対する気持ちは、もしかしたら今最も贔屓にしているアイドルたちへの気持ちと似ているかも知れない。



このブログでたびたび取り上げている、私の暑苦しく身勝手な思いの対象となっているアイドルたちは、今私が最も美しいと思っている人たちではない。はっきり言って、彼らより美しい人などいくらでもいる。
でも、私が見ていたいのは彼らだ。



どうしてだろう。



今好きなアイドルたち、とりわけ最近好きになった方のアイドルたちは、恐ろしいまでに優しく賢く強かだ。彼らが与えてくれる自由という名の部屋の中で、私はせっせと内側からその壁を厚くしている。気の向くままに落書きなんかもして、悦に入る。その部屋の中にいることはとても幸せだ。



...あれ、ということは、私はただひたすらに美しいものが好きなのではなくて、美しいものを気ままに扱える自由が好きなのではないか?
最も美しいものでなくとも、ある程度美しくて、快適な部屋を与えてくれるものであれば、なんでもよいのではないか?



...ということは、私の「好き」は、あの頃とそれほど、いや、全く、変わっていないのではないか?



では、今の私の、リヴァーに対する「好き」は、一体どこから来ているのだろう。






今年23歳になった私は、相変わらず美しいものに目がなくて、何かを悟ったような振りをして、アイドルたちを消費する。



もしかしたらリヴァーのことも、美しさとは違うフィールドで、まだそのように消費しているのかも知れない。




23年前の今日、23歳でなくなった、ということに託つけて、私は今、こうして彼のことを書いているのだから。

それでも私はあなたたちについていきたい~何故、私はVIXXのFantasyにハマらなかったのか~

韓流アイドル

色んなところで散々言われているし、私自身も何度か言ってきたけれど、ある人物・ある作品と、そのファンは、互いに相手の鏡になっている、と思います。



何かを愛するということは、その何かを自分の一部として受け入れることであり、自分の一部をその何かに注ぎ込むことである、と個人的に考えていることもその要因の一つだし、何よりも自分が見聞きしてきたことを踏まえ、感覚として、あながち間違っていない、と思えるのです。





とは言え「私」とその「何か」はあくまでも別個の存在です。「私」の愛する「何か」に、不本意な評価が与えられたとき、それを「私」への攻撃と捉えて傷つくのは、愛する「何か」から主体性を奪うのと同じことなのかも知れません。また評価が好意的だったとして、与えられたその評価を「私」に対する称賛だと捉えて喜ぶことも、愛する「何か」から主体性を奪うことと同じなのかも知れません。



しかしビジネスとして展開する以上、その「何か」は、「こうありたい」という自分の(あるいは作り手の)気持ちの前に、「こうあってほしい」というファンの気持ちに応えなければならない存在だと思うんです。





私の愛するアイドルというものは、その最たる例です。ファンの気持ちを蔑ろにするような振る舞いがあれば、簡単にそっぽを向かれてしまって、それまでの地位などあっけなく崩れ去ってしまいます。



そして、アイドルは、とても冷酷な言い方だけど、消費期間が短いとされているからこそ、他のものたちよりもずっと、「こうあってほしい」に応えて、「こうありたい」をちゃんと形にしていかなければ、生き残ることはできないのではないか、と思うのです。





ジャニーズでは嵐、K-POP界ではBIGBANGが、後輩たちから憧れの先輩としてよく名前を上げられていますが、彼らのように売れ続けるグループというのは、ファンや世間の求めるものに応えつつ、そこに必ず自分たちの思いを乗せています。ファンに届けることはともかく、自分たちの思いを世間に届けることは、そこそこ売れている位のグループには不可能です。



しかしK-POP界において、売上という点で頭一つ抜けた結果を出しているEXOは、ルハンの脱退以降、とりあえずこの人気を維持できたらそれでいいや、というスタンスです。



私は、タオちゃん脱退以降はまともに活動を追ってないので、あくまでもフワッとした印象にすぎないのだけれど、今のEXOは「こうあってほしい」には全然応えていないし、「こうありたい」という思いも全く感じられないため、遅かれ早かれポシャると思います(実際は事務所の大きさで何とか食い繋ぐことはできるだろうが、アイドルとしてのEXOは完全に終わったと思う。全体としては最早雛壇に座っている二世タレントみたいなもんだ)。





つまり何が言いたいのかというと、青臭いけど、ただ売れるだけでは駄目で、やっぱり志がなければ売れ続けることはできないし、ましてファンはつかないよね、ということなんです。思いの伝わってこない奴を応援する人なんてそうそういません。

繰り返しますが、私は何でも狭く浅くな人間です。これだけ偉そうに語ってはいるけれど、アイドルのことなんて、全然知らないようなものです。所詮外野にすぎません。それでも半年ほど前から自分が一番贔屓にしている、VIXXというグループには、非常に高い志と覚悟があるように思います。





以前、VIXXというのは職人気質な人を集めた地味なグループだ、と書きました。ですがここで訂正させてください。彼らはそんな生ぬるい言葉では片付けられなグループでした。本当は「とんでもなくクソ真面目なグループ」だったのです。



彼らに匹敵するほどの真面目さがあるグループルって、ちょっと思い浮かばないのですが、強いて挙げるとすればSHINeeくらいかなぁ...。





他のグループのファンからも高い評価と惜しみ無い称賛を贈られているSHINeeのことを、私もすごいグループだと思っています。年々向上している歌やダンスのスキルの高さもそうだし、デビューから経った年月を考えると、中堅、それもベテラン寄りとも言えるような立ち位置にありながら、未だにフレッシュさを失っていない。そんなグループ滅多にないよ?!これぞオンリーワン、みたいになってるけど、ナンバーワンになれる力があるからこそ、非常に歯痒い。もっと正当に評価されるべきです。



そんな、今最も輝いているグループの一つと言っても過言ではないSHINeeさんは、まず間違いなく根性のある人たちですが、彼らの真面目さには、東方神起先輩の大波と、後輩EXOの思いもよらない大氾濫が、少なからぬ影響を与えたことと思います。



思い描いていたのとは全然違う、クソみたいな環境で、ブチギレそうになりながらも、がむしゃらに、半ばヤケクソのような状態で、各々が猛然と目の前にある仕事をこなしていたら、グループとしても知らぬ間にびっくりするほど成長していて、独自のポジションを築けるところまできた、そんな感じがします。



一方でVIXXには、(こう言っちゃなんだが)SHINee先輩のようなわかりやすいドラマはない、と思います。同期のEXOが爆発的に売れ、その後稀に見る泥沼劇を上演する横で、着実に、一歩一歩歩んできた、そんな印象を受けます。ただその一歩一歩がとても重い、意味のあるものだったんだろうな、と。「こうありたい」というのが製作者たちの間でしっかりと共有されているのがわかるような感じ。



※後から知った身なので臆測の域を出ないけど、もしあるとすれば、2013年?の、えねねんのアイドルやりたくない事件(カムバの際、話題作りのために先行公開曲のタイトル「アイドルやりたくない」を呟いたところ、意図を越えて炎上した)で、VIXX本人たちだけではなく、事務所の人間も、随分学ぶところがあったんだろうなと思います。





VIXXはとんでもなくクソ真面目だ、と申し上げましたが、これは周りから求められるレベルよりも、自分たちが課すレベルの方がはるかに上であり、自分たちが設定したその水準に向かってひたすら努力する、ということです。求められるレベルに応えようとするだけの真面目さとは訳が違います。



このクソ真面目なところは、すごく熱心で素敵と捉えることもできるけど、すごく怖くもある訳で(“とんでもなくクソ”がついてるってそういうこと)。努力を努力とも思わず、誰にも理解できないようなことを平気な顔してさらっとやってのけそうとか、誰にもついていけないような領域に、悠然と入っていってしまうのではないかとか。ふとした瞬間に、この人たちは一体どこまでいってしまうのだろう?と何とも言えない気持ちになるのです。



神曲『傷つく準備ができてる』以降、「こうありたい」・「こうなりたい」という気持ちをしっかり乗せて、毎回ちゃんと形にしてきているあたりでもう普通じゃない感じがするし、同時に「こうあってほしい」というファンの気持ちにも必ず応えてくれています(びょるぴは本当に愛されている)。自分たちの思いと、他人からの思い。その2つをVIXXほど最大限に使って前進しているグループってないと思います。



変わったなあと思うアイドルという記事の中で、かつて応援していたTEENTOPが頭一つ抜けた存在になりきれなかったのは、VIXXに比べれば覚悟がなかったから、と書いたけれど、VIXXの意識の高さは異常なレベルなので、VIXXと比べるのは間違いだったと思います(苦笑)。頑張ってない、みたいな言い方してごめんね、ティンタプ。VIXXが、かなり特殊な人たちだってことに、あの時の私はまだ気付いていなかったんだよ(ただやっぱりティンタプちゃんたちは、ここぞというという場面でファンの「こうあってほしい」に充分に応えられなかったから、トップを取りに行くのは正直もう無理だと思う)。





xyzxxx.hatenablog.com



一ヶ月ほど前に↑の記事を書き、正直なところ書いたことに自信が持てず、もっとわからなくなって、ここ1ヶ月の間、ずっととどうしてだろうって考えていたんですが、最近ようやっと辿り着いた答えがあります。楽曲が壮大すぎて昔のEXOが思い浮かんでしまうとか、この前発見した、ヴィジュアルが~とか、「掘らない・掘れない」人間だから~、というのもそうなんだけど、もっともっと根本的な理由があって、それはVIXXというグループの、信じられないほどの高い志に圧倒されたから、ということだと思うんです。



『Fantasy』のMVを見たときに、頭を一発思いっきり殴られたような感覚があって、ショックで立ち直れなくて未だに見れる気がしないのですが、一言で言えば、あれは“恐怖”だったんだなと今にして思います。画面を通じて伝わってくる、あまりにも高い彼らの志に、ひ弱な私は打ちのめされた。そしてその“恐怖”というのは、10年以上アイドルというものを追いかけてきて、初めて感じたものでした。



『Dynamite』ではポップな色調と軽快な曲調に隠されていた彼らの恐るべき本性(それ以前の活動を見ても全く気が付かなかった私の目は本当に節穴だと思う)が、今回の活動で剥き出しになったのです。



各種音楽番組でのパフォーマンス。重厚なコンセプトと言い、壮大な楽曲と言い、ミュージカルさながらの、それでいてより洗練された独特の振り付けと言い、今までの流れからすると不思議なほど抑えたような衣装やメイクと言い(抑えたからこそ逆に伝わってくるあの不気味さ)、震えました。



この人たちは...本気だ、今の地位には全然満足していない!!!!!!



恐ろしいほどの向上心を感じました。端からはそれなりの地位を築いているように見えても、彼ら自身はもっともっと上を目指している、それもただ背伸びして届けばいいなあと思っているというのではなくて、一段一段固めて、踏みしめて、自分たちの望む場所へ行こうとしている。



それなのに、ギラギラ、ガツガツしたところは微塵もなく、すごく謙虚でお上品。彼らを見ると、育ちがいいってこういうことを言うんだなあと、しみじみ思います。 緑茶とお煎餅が似合うような、それこそお爺ちゃんみたいな(笑)、のほほんとした空気すら漂っています。



たくさんの素敵エピソードからもそうですが、日本での『花風』の一連のプロモーションをリアルタイムで見ていて、老成しているというか、とにかく人として賢い、本当にできた人たちだなぁという感想をVIXXに対して持ちました。



だからこそ、すごく怖かったんです。



「こうあってほしい」という気持ちを決して軽んずることなく大切に大事にしている人たちが、「こうなりたい」という強い思いを持って全力で活動するというのがどういうことなのかを、私は今回初めて目の当たりにしました。個人としてはともかく、グループとしてあんなに賢く正しいアイドルを、私はかつて一度も見たことがなかった。





そんな「とんでもなくクソ真面目」なVIXXを見ていたら、私は自分をとても恥ずかしく思うようになりました。だから私は、『Fantasy』を受け入れられなかったんです。私にはとてもこんなものは受け止めきれない、と。アイドルを見ていてこんなに自分を情けなく感じたことはありません。VIXX本人たちとは全く関係のないところで、私が勝手にそう感じただけなんですが、それくらい衝撃的だったんです。





VIXXは本当に心優しいグループです。ファンに対してとても誠実で、すごくファンのことを大切にしています。コンセプトドルと言われて奇抜な格好のイメージが強いかも知れないけれど、気取ったところはなくて、素朴なお兄さんたちです。彼らはファンを選びません(正しくは「選べない」か)。



私は、本国のびょるぴのように、献身的に応援しているわけではありません。ハイタッチ会に行くために、何枚も積むこともありません。音源はまずもって購入しないし、曲がどれだけ好きでも音盤はアートワークが気に入らない限り買いません(やっぱり見た目至上主義)。だから彼らの売上、商業的な成功に、私はほとんど貢献していないのです。



ファンを、時間とお金を懸けてくれる人、と定義するならば、私のような、美味しいとこだけ好きなようにかじる調子のいい人間は、おそらくファンとも呼べない存在でしょう。図々しいことこの上ないと、自分でもわかっているつもりです。それでも尚、私はVIXXのファンでいたい、と思います。彼らに大事にされるだけの人間になりたい、と。



いや何言ってんだよお前、そんなたいそうなことを言う暇があるのなら少しでも金落とせよ、冒頭でビジネスとして~とか言ってた奴誰だよ、って突っ込まれても仕方がないんだけど(苦笑)、割と真剣に考えているんです。もっと軽やかに語れるようになったらいいのだけれど、このやたら重くてキモいのが現実、今の私。







VIXXが、素晴らしすぎて辛い。







とりあえず、弛んだ思考と肉体をなんとかしなければ。堕落しきった生活を断ち切らなければ。まずはそこから。





とにかく。





VIXXさん、大好きです。

ハンサムな彼女

その他

突然ですが、皆様は漫画がお好きですか?
贔屓にしている漫画雑誌があったり、単行本が発売されたら買うような作品ってありますか?



あるいは、人生の指針となった漫画はありますか?



私はそんなに漫画を読む人間ではなく、知っている作品も少ないですが、漫画が好きです。自分じゃ単行本も漫画雑誌も滅多に買わないけれど、図書館とかに行くと結構読んでます。時間がなくてもついつい漫画の棚に行きます。ズラッと並んだ漫画たちがいつも私を誘惑してきます。でも読むと面白くて考えさせられることがたくさんあって、また誘惑してね、って思います。



今日は、自分の在りように少なからぬ影響を与えてくれた作品と、それをめぐる話をします。






まずは作品をご紹介しましょう。



じゃん。





吉住渉ハンサムな彼女



こちらの作品は、中学生で女優の女の子・萩原未央と、映画監督を目指している天才少年・熊谷一哉の恋愛模様を描いたもので、1988~1992年にかけて、少女漫画雑誌『りぼん』で連載されていました。リアルタイムで読んでいたのは、おそらく私(1993年生まれ)の一回り上の世代、今の30代半ばくらいの方々かな。



さてこの作品、まず設定からして超お洒落です。なにせ主人公は女優なのです、アイドルではありません。お相手も映画監督志望の帰国子女の少年です。というかこの設定がもうすでにお洒落過ぎて現実味がないです(少なくとも日本じゃちょっと想像つかないです、欧米ならありえるかも)。ただ全編を通じて作者の哲学が詰まっているといいますか、設定にはじまり登場人物の服装や趣味嗜好、主要人物たちはもちろんのこと、脇役の台詞にいたるまで、とにかくお洒落、という点で筋が通った作品なので、無理なく読めます。



そもそもタイトルの『ハンサムな彼女』の「ハンサム」というのは、一哉が撮りたい女優像から来ています。一般に「ハンサム」は、男性、とりわけ見た目のよい者に対して使われることが多いですが、一哉に言わせれば、「ハンサム」は、女性に対する最高の褒め言葉、なんだとか。肉感的なエリザベス・テイラーマリリン・モンローも確かに魅力的だけど、ローレン・バコールマレーネ・ディートリッヒのような、クールで知的で堂々と男と渡り合う、そんなハンサムな女性を主役にしたカッコいい映画を撮りたい、そして彼にとっては、その主役にしたいハンサムな女性が未央、ってことなんですけど。



記憶では、小学校の4年生頃に読んだことになっていますが、その頃の私は日本の芸能人でさえ殆ど知らないような状態だったので、バコールやマレーネについては誰のことだかさっぱり判っていなかったと思います。それでもどこかで覚えていたんでしょうね。『SCREEN』や『ROADSHOW』といった映画雑誌を読むようになったとき、「ローレン・バコールマレーネ・ディートリッヒ?あれ、なんか聞いたことのある名前だな、どこで聞いたんだっけ...ああそうか、思い出した!あの漫画でハンサムと言われてた!」と、ようやく言及されていた人たちのことが判りました。確か中学に上がってからだったと思います。





ここで話がちょっと飛びますが、実は保育所に通っていた頃の幼い私は可愛いものが大好きで、ディズニープリンセスなんかにすごく憧れていました。児童文学作品の登場人物でも、『若草物語』ならベス、『赤毛のアン』ならダイアナが好きでした。



だけど当時の私は、男の子たちよりも背が高くて、男の子たちよりもずっと走るのが速くて、おまけに気も強かったから、プリンセスやベスやダイアナのような、誰かに守ってあげたいと思われる(けど実はとてもしたたかな)女の子ではなかったんです。それこそ『若草物語』で言うならジョー、『赤毛のアン』で言うならアンみたいな、勇ましい一方で夢見がちな女の子でした。



他の女の子たちは、割と女の子女の子していて、そういう中では、たとえ彼女たちと同じように可愛いものが好きであっても、私はとても異質な存在だったんだと思います。



実際よく仲間外れにされたし、首謀者はマドンナ的存在だったから、男の子たちもほとんど当てにならなくて(子供は自分とは違うと感じた者を容赦なく省く、かなり残酷な面があると思う)、そこで自分は見た目からして女の子らしい女の子ではないし、誰かに守ってもらえるような女の子でもない、ということを嫌でも思い知らされました。



小学校に上がると増々そういうことがはっきりしてきて、周りからどう見られているかというのもより解るようになるし、高学年にもなると「私は可愛いというよりはどうもカッコいいみたいだし、可愛いよりカッコいいを目指した方がいいな」と自分でも考えるようになりました。こうして受け入れてみると不思議なもので、自然と好きなものはカッコいいものに変わったし、可愛いものに憧れていたときに比べれば、人間関係も自分の気の持ち様も、随分楽になりました。



振り返ってみれば、『ハンサムな彼女』を読んだのは、丁度この時期に当たっていたんですね。



但しこんな風になりたいという自分の理想と、ハンサムな女性という概念が結びついたのは、実際には高校生になってからでした。小中学生だと、月の障りがあるとはいえ、女性というにはまだまだ乳臭い感じが抜けなかったし、その日その日が精一杯、みたいな所が大きかったのかもしれません。高校生くらいになると、割と現実的な意味で自分が将来どんな人間になりたいか、ということを考えられるようになってくるので、そこで改めて「ハンサム」というワードが浮上してきたんだと思います。





ハンサムな女性、とは、一体どんなひとなのでしょう?正直、この漫画の主人公である未央ちゃんは、私にとって、ハンサムな女性のモデルとなる存在ではありませんでした。一哉の撮る、女優・萩原未央はかっこよく見えるけど、一人の人間としての未央ちゃんは、どうしても“可愛い女の子”にしか見えなかったからです(吉住先生は可愛らしい画風だし)。



また一哉が例として挙げていた、バコールやマレーネも、はっきり言って、もともと持ってる顔やスタイルがいいから、美人だなぁという感想が先立ってしまうんですね。確かに凛然としていて、エピソードなんかからも彼女たちが決して顔や見た目だけの人間ではない、非常に魅力的な女性であったことは判るし、ハンサムな女性だなぁ、と思うんですが、筋金入りの面食いなもので(笑)、何よりもまず、顔が美しいか否かということに気を取られてしまうのです。



そんな私が、ぱっと見て、あ、この人は間違いなくハンサムだ、と感じたのは、キャサリン・ヘップバーン。彼女は目の覚めるような美人ではないけれど、内面の美が表に出ているというか、ときに息を飲むほど美しい瞬間があります。非常に堂々としていて、ダリアのような華麗な大輪の花を思わせるひとです。



長期間女優として活動したことも素晴らしいし、その一方でオスカーの授賞式などの、演技活動以外の公の場を好まなかったことなんかは、公私混同する輩が溢れかえる今の世界を考えると、毅然としていてカッコいいと思います。



また彼女は、女性らしい華やかなドレスを着る同業者の中で、当時にしては珍しいパンツ・スタイルを貫いたことでも有名で、現代の女性の在り方にかなり影響を与えた人でもあります。



あともう一人挙げるなら、デザイナーのガブリエル(通称:ココ)・シャネルです。世界で最も有名なファッションブランドの創始者で、女性の社会進出を支え、促進した、偉大なひと。彼女の伝記は何冊か読みましたが、どれも著者のココへの敬愛の念が伝わってくるものでした。



この記事を書くにあたって、改めて二人のことを調べたのですが、どうやらキャサリンは、ココの生涯を描いたミュージカルで、ココの役を演じたことがあるようです(日本版では鳳蘭さんが務められたそう)。二人の間に親交があったかどうかはわかりませんが、ココが女性のパンツ・スタイルを作った人なら、キャサリンはそれを広めた人とも言われているので、なんだか特別なものを感じました。



私は二人に憧れているけれど、私は二人とは違います。私がどんなに頑張っても、私は二人にはなれません。けれども見習うことはできるんじゃないかと思うんです、私なりのやり方で。



じゃあ二人の何を見習うのかというと、自分の考えを貫くこと、なのかなと。これは二人に共通していて、二人の最も大きな魅力でもあることだと思います。いや、二人に限らず、ハンサムな女性ってみんなそうなんじゃないかなあ。みんないい顔してるもんね。つまりハンサムっていうのは、自分自身に対して、自分の人生に対して誠実な、むしろ泥臭くあることなのかも知れません。泥臭くても極めたら、悠然と見えるのかも。人生に対して礼儀正しくあるというのは、とても単純な話なんだけど、とても難しいことです。でも譲れないことです。だって私はハンサムな女性になりたいのだから。





冒頭で影響を受けた漫画について語ります、と言っときながらどんどん論点がずれていって、やっぱり今回も自分のことしか語ってないし、出口が全く見えないのですが(苦笑)、こんな風に自分の考えのもとや核となるようなものを考えるとっかかりとなる作品に出会えたことは幸運だなあと思います。



正直『ハンサムな彼女』の話自体はあんまり覚えてなくて(←え)、吉住先生の作品だと、『ミントな僕ら』や『ウルトラマニアック』の方が実はお話としては好きなんですが、最も哲学を感じるのは、やっぱりこの『ハンサムな彼女』なんですよね。初めての長期連載だからかな?なんて言えばいいんだろ、この作品に関しては、作者の吉住渉が主人公で、ハンサムなのは吉住渉、って感じがします。うん、吉住渉はハンサムなのです。それに尽きる。



色々書き散らしましたが、そういうことです。



是非一度、読んでみてください。