気の向くままに、心の記録

自称:ドルオタ(仮)。茶の間のくせに語りたがり。V6とVIXXは特別な存在です。彼らのことを中心にその他のことについても書きます。

岡田美人期猛毒説

岡田美人期をご存知だろうか?


岡田美人期の岡田とは、V6の岡田准一のことである。いや美人期も何も岡田くんは常に美しい顔をしているでしょう?って思ったそこのアナタ!私もそう思ってはいるけれど!!!美人期の岡田くんはそんなもんじゃなかったんですよ。


ドラマ『SP』以降、岡田くんには“ゴツい”というイメージが定着したようで、実際本格的に格闘技をやればそうなるのは自然なことなんだけども、「V6の岡田くんが好き」と言えば、「ああ綺麗なゴリラがタイプなんだね」と返ってくるのが常で、別に私は綺麗なゴリラがタイプな訳ではないのだが、その比喩が的を得ているので否定もできず、かと言って「私がハマった時の岡田くんはゴリラじゃなかったし、その時が一番好きなんだよ」と上手く説明できる訳でもないので、「あ~、そうなのかも」などと笑って誤魔化し、心の中では「違うんだよ!そうじゃないんだよ!わかってくれよ!」と叫ぶ日々が続いているのです。


本当のところ、美人期には明確な定義がないのですが(ないんかい!)、本人曰く「デビューして10年は綺麗でいようと思っていた」そうで、そのデビュー10年以内だと、2003~2005年の長めの黒髪時代がファンの間ではよく美人期と言われています。私が美人期と言われて想像するのもこの頃。


でね、この岡田美人期、体のゴツさも勿論なんですが、今と何が大きく違ったのかと言うと、持ってる空気が違ったと思うんです。研ぎ澄まされたナイフのような、冷たさがあった気がします。剛くんのように攻撃的ではないけれど、こちらがどこか遠慮してしまうような、そんな張り詰めた空気が、あの頃の岡田くんにはあったような。


岡田くんは本人も言うように根暗なんだろうけど、ここ3年くらいはバラエティーで楽しそうにやっている印象が強くて、やるときゃやるけど変態街道まっしぐらのデレデレオジさん、というイメージがあります。意図して作られた部分もたくさんあるんだろうけど、そこにあの頃のような冷たさを感じることはありません。


私は美人期から入っていて、そしてまた過去を遡るほどの熱意はないので、その前のことはほぼ知らないのですが、初期の頃に関して「芸人みたいな面白さには欠けるのに、周りに求められるのでやるしかなかった」と言っているのを読んだり、『Feel your breeze』のような、ちょっとチャラさの漂う金髪時代のMVを見ると、美人期前は(無理矢理やらされてたとしても)結構明るいイメージが強かったんじゃないかなあと思います。


だから多分、美人期というのはイメージの面で言ってもかなり特殊な時期で、本人曰く「だいぶめんどくさい奴だった」みたいですが、私は美人期にしかない、美しさが好きなんです。見てて面白いのは断然今の方だし、これからもきっとゆるーく追っていくだろうなあとは思うのですが、やはり美人期は別格。


カイスタル事変を振り返った前回の記事で、私はアイドルそのものよりも、ワーキャー騒ぐのが好きなんだ、ということに気が付きました。それでそこから色んなことを考えたんですが、結局私は、美人期の岡田くんよりも好きになれる人を見つけられない限り、岡田くんに固執し続けるんだろうなあと思いました。


タオちゃんとかクリス兄ちゃんとか、今でもたまにチェックして、カッコいいなあって思うけど、やっぱり美人期の岡田くんには勝てません。クリタオの方が身長もあるし、見映えのする容姿なんだけど、美人期の岡田くんの前ではあまり効果がないです。クリタオの異次元の美しさも大好きなんですが、美しさの種類が違うんですよね。


当時の私はただ単に顔の美しさに騒いでいただけだろうと思うのですが、今の私から見ると、美人期の岡田くんの美しさには、その冷たい張り詰めた空気の中に、生きる苦悩とか葛藤があるように思えて、そういうのは往々にして口にすると馬鹿にされるけど、私はいつも考えているめんどくさい奴だから、その頃の岡田くんを見ると、「うわあ...」ってなります。それは、懐かしさであり、寂しさであり、切なさであり。何とも言えない思いがするものです(キモいって言わないで)。


本当は美人期の岡田くんと今の変態岡田くんは地続きで、それは俳優活動を見てるとよくわかるのだけど、私の中ではどこか別の人のような気がしています。あまり上手く繋がりません。美人期だけが切り離されているような状態です。それが基準になってる訳だから、そりゃ大変だわな。


私にとって、岡田美人期は甘い味した猛毒です。何年も前に、そうとも知らず、そうなるとも知らず、私は飲み干してしまいました。罠とは違います。問題は、私の外にではなく、私の中にあるのです。ものすごく厄介で、ものすごく愉快なことです。


私が岡田くんを好きになったのは、彼が23歳になる年のことでした。すごく大人のお兄さんだと思っていたけれど、今年その歳になってみて、自分はまだまだ子供だなあと思いました。それなのに現時点でリヴァーより長生きしてるし、なんだかとっても変な感じです。


猛毒であれなんであれ、私の人生には岡田美人期がずっとしぶとく存在しています。これからもきっとそうなんだろうと思います。勿論美人期だけじゃなくて、私は“いつも心に岡田くん”です(笑)。おかげで人生がとても楽しいです。岡田くんに感謝しています。ご本人がこれを目にすることはないでしょうが、それでも書かずにはいられません。そして、ここまで読んでくださったそこのアナタ!に、心の底より感謝を申し上げます。



よいお年を!

私のドルオタ遍歴 番外編 ~カイスタル事変について語ろうするときに今の私の語ること~

カイスタル事変については結構前から振り返ろうと思っていて、一番初めに『さよなら、カイスタル』という題で書こうとしたのは、10月頃のことだった。


ところが書き進めていくうちに、カイスタル事変を書く上で、ある程度明らかにする必要のあるアイドルが恋愛をすることに対しての考えが、私にはほとんどない、ということに気が付いた。


そこで、少しでも明らかにするために、自分のドルオタ史を振り返って繙く(これは大袈裟な言い方だけれども)のはどうだろうか、と思い付いたのであるが、これをきっちりやろうとすると、ちょっと別のものになってくるのではないかと思った。


それでもカイスタル事変を書くにあたって、できるだけ嘘のないように書こう、と決めていたので、かなり気に入っていたけど題も変えて、改めて書き直すことにした。


普段ノリと勢いで書いてしまうことの多い私にとって、嘘のないように書く、というのは、とても難しいことである(どうしても話を盛っちゃう癖があるんだな)。過去のことを振り返りつつ書くとなれば、難しさはより一層増す訳で。


私は、事実を書くのは不可能だ、と思っている。世の中で事実と言われているものは本当には存在しなくて、あくまでも個人が思う事実が存在するに過ぎない、と思っている。


で、あるならば。今回はそれに誠実でいようと頑張ってみる。


きっと理路整然とした文章ではないし、結局は同じことを何度も繰り返すだけになるかも知れないし、最後まで読んでも何が言いたいの?、ってなるかも知れないけれど、いつもよりずっとずっと頑張って書いてみるから、読んで下さると嬉しいです。





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アイドルと恋愛は、切っても切れない関係である。


私がアイドルが恋愛をするということに対して特にこれと言った考えを持っていないのは、アイドルそのものに関するはっきりとした考えを持っていないことでもあると思う。とりあえず、岡田くんに出会ってからのことで、何か繋がりそうなことを全部考えてみよう。カオスになるのは仕方がない。



ジャニーズ沼にいたときに「アイドルとは何か」ということを考えたことはなかったと思う。考えたことはあったのかも知れないが、覚えていないあたり、たいして重要ではなかったのだろう。


そもそも私にとって、ジャニーズはジャニーズなのであって、ジャニーズはアイドルである、という意識は殆どなかった。がっつりハマった芸能人はジャニーズが最初だったから、余計にそうだったのかも知れない。


無論ジャニーズはアイドルである。ところが世間的にも、ジャニーズはジャニーズという一つの独立した文化として捉えられている節がある。日本で男性アイドルと言えば、それは即ちジャニーズのことだから、わざわざアイドルという概念を持ち出して考えようとはしない、ということなのだろうか。



韓流沼に移っても、相変わらず自分がワーキャー騒いでいる人たちがアイドルだとは強く思えずにいた。ティンタプはティンタプで、びっべんはびっべんで、えくそはえくそ。しかし、自分はエンジェルだ、VIPだ、エクセルだ、という意識があったかというと、そうでもなかった。


自分は固有のファンクラブ名を名乗れるほど熱心なファンではない、と考えていたので、名乗るとしたらドルオタになるのかなあと思っていた。そう言えば、けーぽオタ、とか、韓ドルオタ、とかは思い浮かべなかったなあ。まあ離れたとはいえジャニーズもそれなりに好きだったし、世間一般でアイドルに分類されている人たちが好きなわけだから、自分はドルオタなんだろう、ということだったのかも知れない。『自称:ドルオタ(仮)』。


だからドルオタ遍歴びっべん編で書いた、びっべんはアイドルだからどうのこうのというのは、厳密には間違いになるのではないかと思う。エイプリルフールの後に書いているためか、当時は頭になかった筈のアイドル論が展開されており、事実と、書いているときの自分の考えが入り交じった状態である。


ジヨンに対して希子ちゃんとのことを隠すべきだと思っていた、というのも、厳密には間違いである。間違いというか、完全に嘘である。アイドル云々を抜きにしたって、隠すべきだという発想はなかった。


私に言わせれば、ジヨンの表現はほぼ私生活の垂れ流し。ある意味とても素直だから、隠すという選択肢はジヨン本人にもなかったと思う。希子ちゃんがどれだけ叩かれようが、ファンがどれだけ気を揉もうが、行動を改めようとしなかったのは、ジヨンの厨二病を考えたらごく自然なこと。多分そういうのがあればあるほど盛り上がって、増々のめり込んでいたんだろうなあと思う。


...という今の私の考えはまあ置いといて。


当時の私の印象では、とにかくジヨンが希子ちゃんにぞっこんだった。希子ちゃんがジヨンをどう思っているのかはよくわからなかったけど、ジヨンの希子ちゃんが好きだという気持ちはすごく伝わってきた。そして、ジヨンのミューズは希子ちゃんなんだろうなあという半ば確信めいた思いもあった。


あの二人は本当に噂が絶えなくて、それこそ事務所の否定を心の底から信じているファンなんていないようなもんだったから、むしろ付き合ってますって宣言した方がいいんじゃないかと考えていた。


あ、ちょっと違うな。宣言してくれたらいいのに、と思っていた。これだけ取り上げられているくらいだし、今更公式化したって何ら変わりがないだろうっていう気持ちは勿論あった。でもそれ以上に、もうこれ以上振り回されたくない、という気持ちが強かったと思う。


そう、私はジヨンと希子ちゃんの件で、いつもモヤモヤしていた。


好きなアイドルに熱愛報道が出ること自体は、ジャニーズ沼にいたときにもそれなりにあった。しかし結局は、ああそうなんやなあで終わっていた。あの岡田くんの時でさえそうだった。気にしないようにするでもなく、自然にそこに落ち着いていた。とてもあっさりしていた。


ジヨンに対する好きと、それまでにハマったジャニタレに対する好きは、今の自分から見ると、それほど変わりがなかったと思う。何ならジヨンはそれまでに好きになったアイドルの中で一番のブサイクだったし(※私は面食い)、特に性格が好きというのでもなかった。


一体何が原因でモヤモヤしていたのか、はっきりとした理由はわからない。当時はそんなことを検証するほどの余裕がなかったから、こうだったんじゃないかなあと後から推察するしかなくて、それが正解であるかもわからない。


ただ何となく、ディスパッチに撮られた写真を見たり、関係者に聞いた話を基に書かれた文章を読んだときには、割とさらっと流せていたような気がするので、本人の公式SNSという、のんびり茶の間な私でも見るようなもの、そこに投稿されたものが情報源になることがなかったら、あれほどモヤモヤしなかったのではないかと思う。


忘れもしない、メリーピンクマス。私がジヨンを好きになって初めてリアルタイムで接した熱愛報道の情報源は、ジヨンのSNSだった。クリスマスに喜んでいた写真が、年明けにはネタになっているという悪夢。ああ、これなのかも。


私がジャニーズ沼であっさりしていられたのは、私の性格に因るところもあっただろうけど、こうして考えてみれば、ジャニーズ事務所が所属タレントに関する色んな情報をかなり厳しく統制するという方針を取っている会社だから、っていうのもあった気がする。


ジャニーズでは、他のアイドルよりも随分きっちりアイドルとファンの間に線を引こうとするけれど、そうすることである程度の安心をファンに保証できるのかも知れない。



私が「アイドルとは何か」「アイドルとはどうあるべきか」という問題(というか考え)があるということを知ったのは、テヨンとベッキョンの熱愛が公式化したときである。私自身はベッキョンにもテヨンにも興味がなかったので、熱愛報道を知っても、ああそうなん?くらいにしか思わなかったが、ネット上では二人の態度を問題視する人が非常に多かった。


私の中でジヨンと希子ちゃんの件が職業倫理と結び付いていなかったのには、先述の通り私がアイドルという概念に無頓着だったのもあるけれど、びっべんを好きな人の殆どが、例えびっべんに疑似恋愛をしていても、びっべんのことをアイドルではなくアーティストだと思っていたことも大きいと思う。ジヨンや希子ちゃんに対して、やめて欲しい、とか、慎んで欲しい、というのはたくさんあっても、アイドルだからやめるべきだ、と主張しているものを見た記憶はない。


だからテテベクで、オープンカーでチューして撮られたこととか、前々からインスタで匂わせていたこととか、事務所が認めたこととか、ファンに対する謝罪とか、そういう諸々のことに対して、信じられない、とか、アイドルとしての意識が低い、とか、職業倫理に反する軽率な行為だ、という感想や意見を目にしたときに、なるほどなあと思った。普段から鋭い洞察と意見に感服してよく拝読していたブログでも言及されていて、それを読んだときには、そりゃそうだよなあ、と思ったりもした。


でも結局、どうでもよかった。嘆き悲しんでいるファンや、ブチ切れているファンに対しては、その気持ちを上手く想像できずに申し訳なく思っていたけれど、ベッキョンに対しては、正直いい気味だという思いがあったので、面白がって見ていた気がする。振り返ってみれば、テテベクは色々アホすぎてもはやコントである。


私はもともとベッキョンに対していいイメージがなかった。ベッキョンは、男臭すぎず適度にチャラい雰囲気イケメン。言ってしまえばスクールカースト最上位にいそうな男子である。抜群のトークセンスで、メンバーの中でも特に(というかほぼ唯一)機転が利くけれど、私にはそれが軽薄さにしか見えなくて、オイシイところだけ持っていくお調子者、というイメージが強かった。


ただ熱愛が発覚したときにはあれほど叩かれ、リーマンショック並みに人気が暴落したのにも関わらず、一年も経たずして人気メンバーに返り咲いたのは、本人がそれなりに反省して頑張ったのもあるけれど、そういうキャラに因る部分も大きかったんじゃないかなあと思う。


かなりやらかしてはいるんだけど、それもある意味らしい、というか。友達になりましょう!にしても、普通は出てこないし、聞いたところで、はぁ?なめてんの?ってなるだろうに、も~この子はしゃあないなあ(そこが好き)、っていう空気が確実にファンの中にあった。あれはベッキョンだからこそ許される発言な訳で。逞しくて根性があるとはいえ、随分お得なキャラである(やっぱり辛口)。


らしい、と言えば、あんまり詳しいことは知らないけれど、ジョンデもそうなるのかなあと思う。ジョンデはバレたというかバラされたので、状況は全然違うんだけど(※バラしたくなるくらい酷い態度を取ったんか?っていうことはおいといて)、バラされた内容といい、そのバラした元カノは35歳説といい、全てがファンの想像通りだった。まあ人気上位のメンバーではないということもあるんだろうけど(ごめんジョンデ)、大きな騒ぎにならなかったのは、らしかったからだと思う。



カイの人気がなかなか戻らないのは、カイがらしさを壊し続けているからである。本人の言動が一番の原因ではあるのだが、ファンからの色んな意味での期待が桁違いに大きかったことも少なからず災いしていると思う。


エイプリルフールまで、カイはファンにとってどこに出しても恥ずかしくない自慢のセンターだった。舞台の上では堂々とした振る舞いで圧倒的な存在感を放つ一方、火種になりがちなSNSには手を出さず、度々ファンに向けて心温まる手紙を書く。メンバーの脱退やら熱愛やらが続く中で、そんなカイの姿はとても眩しく、グループを応援していく上で非常に大きな支えになっていた。


私がカイペンを見ていて思ったのは、とにかくカイの人間性に惹かれている人、惚れ込んでいる人が多い、ということ。所謂花畑ってことじゃなくて、容姿や言動にワーキャー騒いでいる印象が他のメンバーに比べるとあんまりなくて、カイの表現や内面が好き、という人が多かった、ということだ。


それは私自身にも言えることで、タオちゃんというどストライクなお顔の持ち主がいたにも関わらず、苦手な顔立ちのカイが一番好きなメンバーだったのは、他の何よりもカイの性格に魅力を感じたからである。キラキラと光り輝くような異次元レベルの容姿の持ち主たちが次々と離脱して、正直かなりの物足りなさを感じていても、私はえくそから離れられなかった。


カイスタルは、熱愛自体は特に問題にならなかったとよく言うけれど、私はそれはちょっと違うような気がしていて、と言うのも、カイがアジアの初恋と呼ばれていたのは、完全なガチ恋ではなくても、ガチ恋枠で好き、という人が多かったことの裏返しだと思うから、その点ではかなりの人が夢を壊されたと言えるような気がしている。


また、相手がクリスタルであることが辛い、という人も結構いたような。クリスタルは、個人の好みはあるにせよ、同性から見ても綺麗な子で、テヨンほどに匂わせていた訳ではないから、羨ましかったり妬ましかったりしても、突っ込みどころがほぼないようなもので、このモヤモヤをどこに持っていけばいいのか、という気持ちになる人が多かったと思う。


とは言え、まあ仕方ないよね、お似合いだし、って言い聞かせてる人が殆どだった。


xyzxxx.hatenablog.com


↑これ読んだら分かるけど、私も、辛いけどまあ仕方ない辛いけど、って思っていた。


ところが、脚の怪我はどうもクリスタルとのデートが原因らしいとか、ホテルのプールでキスしてるっぽい写真とか、コンビニのレシートとか、防犯カメラの画像とか、そういうものが後から後から出てきて、その殆どがプライバシーの問題に抵触するものだから、そこに対する抵抗を忘れては駄目だという思いはあるものの、そうやって出てきたものを見なかったことにはできない訳で。


私はそれまでカイに対していいイメージを持ちすぎていたこともあって、心底ガッカリした。裏切られたという気持ちになったのは、カイが初めてである。大して貢いでもいないくせにそう思うのは筋違いな話なのかも知れないが、それにしたってジヨンと希子ちゃんのときのモヤモヤなんて比じゃなかった(びっべんは曲から入ったっていうのもあるだろう)。V兄さんとびくすちゃんに癒されるようになっても、カイに対する怒りは当分続いた。今もないとは言い切れない。


韓国は、アイドルとファンの距離があらゆる面で近くて、ネットが盛んで強大な力を持つ社会だから、アイドルが恋愛を隠し通すことは難しいと思う。それでも、もう少し隠す努力をカイ本人から感じられていたら、あんなに色々出てこなかっただろうし、ファン離れもそこまで深刻化しなかったのではないかと思う。


もともとファンの数が多いから、実際のダメージはそれほど大きくないのかも知れないけれど、アイドルとしての誠実さや、ファンに対する配慮に欠ける、というイメージが付いてしまった以上、カイのアイドルとしての本質的な価値は低い。完全に部外者なのであれこれ語るべきではないと承知の上ではあるが、SJのソンミンさんもそういう意味でかなり残念な例だと思う。


先月の長野くんの結婚があれほど祝われたのは、年齢的なこともあるけど、報告の仕方にファンへの配慮が感じられて、その謙虚さに心打たれた人が多かったからである。めっちゃライトな岡田担の私が偉そうに言うのも何だけど、あれは本当にお見事だった。長野くんの人徳だよなあ。今更ですが、長野くん、白石さん、ご結婚おめでとうございます。


一方で、脱退や解散を見ていると、アイドルとファンは、その間に何か特別な、とっても素敵なことがあったとしても、お互いの人生に対して責任を負えないものなんだよなあ、と思ったりもする。


SMAPのファンでもないのに、昨日何となくスマスマを見て、今日も朝からワイドショーを見て、それからずっと、ああでもないこうでもないと考えている。全力の笑顔が痛々しかった中居くん、それなりに思うところはあるんだろうなあというキムタク、深刻そうでもなくいつも以上に飄々として見えた吾郎さん、何を考えているんだかわからないうっすらとした笑みを浮かべていた草彅くん、ひとりめっちゃスッキリした顔の慎吾ちゃん。本当のところが分からないままの解散は、何も言えないままでの解散は、辛いだろうと思うけど、何年かしたらまた集まって何かしてそうという気がしないでもない。ありがとうを言うのはまだ早いんでないの?と思う私は呑気なのだろうか。


熱愛にしろ脱退にしろ活動休止にしろ解散にしろ、賛成反対好き嫌いの前に、それぞれの人生がある。だから受け入れるしかないし、例え受け入れられなくても、それぞれの人生は続いていく。ファンじゃなくなってしまうこともあれば、アイドルじゃなくなってしまうこともある。でも、アイドルでよかった、ファンでよかった、と思える瞬間が、少しでも多く重なればいいなと思う。



私はエイプリルフールまで、カイが好きで、クリスタルが好きで、カイスタルが好きだった。カイのことをジョンイ―ン!!!、クリスタルのことをスジョーン!!!と呼んで、いつも馬鹿みたいに騒いでいた。


けれど今は違う。カイを見ても、クリスタルを見ても、もうあの頃のように興奮することはない。ジョンインともスジョンとも呼べなくなってしまった。性格に惚れ込んでいたカイは、気持ちが冷めてしまえばただブサイクで残念な人になり、一時は保存画像数が圧倒的な差を付けての一位だったのが、今では一枚も残っていない。女子で一番好きだったクリスタルは、相変わらず綺麗で、見た目で言うと今も断トツで一番だけど、好きな人だとはもう言えない。


皮肉なことに、変わらずに好きだと言えるのは、公式化する前に公式の場で撮られたカイスタルだけである。


悔しいけれど、カイスタルは絵として最強だ。正統派ではないものの独特の色気を持つ男らしいカイと、端正な顔立ちで硬質な魅力に溢れたクリスタルは、被写体として持っているものが正反対であるからこそお互いの良さが際立つ、という最高の組み合わせである。あの相性の良さは、きっと天性のものだろう。見ていてそれほど強烈に惹きつけられたのは、同じタイプで言うとジョンリ(特に『RED LIGHT』期)、反対のタイプで言うとクリタオ(二人並んだ何気ない空港写真がスパイ映画のワンシーンみたいってどういうこと?)位なものである。でもカイスタルを越える組み合わせを、今の私は知らない。


もしかしたら、カイよりも、クリスタルよりも、カイスタルが、私は好きだったのかも知れない。エイプリルフールの前、どっちも好きでお似合いなのに、カイスタルを見る度にモヤモヤしていたのは、結局そういうことなんじゃないか、という気がしてきた。憧れの美人であるクリスタルの隣にいるカイにでもなく、大好きなカイの隣にいるクリスタルにでもなく、カイスタルが持つ空気に、私は嫉妬していたような。上手く言えないけれど、カイスタルは私の理想そのもので、でもそうはなれなかったもの、なのだと思う。


私は、カイスタルが好きだった。それなのに、私の好きな形でカイスタルが更新されることはない。


私はカイスタル事変について、何を語ればいいのだろう。好きなように語ればいいのに、好きなように語りたいから頑張って書いたのに、いざ語ろうとすると、何も語れなくなってしまった。カイに腹を立てるのは馬鹿らしいし、クリスタルに対しても何だかなあである。ここまで書いてわかったことは、「アイドルとは何か」「アイドルとはどうあるべきか」ということを、私が何となくでも考えるようになったのは、カイスタル事変があったから、ということだけである。何か答えを得た訳ではない。


ジヨンと希子ちゃんのとき、公開恋愛をしてくれた方が楽だと思っていた。委ねられる苦しさを、私は知らなかった。でも今でも公開恋愛をするなとは思わない。隠せるなら隠し通した方がいいと思うけど、私はアイドルの人生に責任がある訳ではない。だから私は、アイドルが好きなのだ。そして多分、アイドルそのものよりも、ワーキャー騒ぐ方が好きな、お気楽な人間なのである。そのことに気付けただけでも大儲けだ。



ありがとう。そして、さようなら。私の好きだった、カイスタル。



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自分のために書いてみた~K-POP好きな曲10選~

お薦めでも何でもなく、ただ今の自分の感性を記録しておくという意味で、幾つか好きな曲をあげる、という行為は、案外的を得ていて、将来振り返っても面白いかも知れない、と思いました。

 

というわけで、以下K-POPで好きな曲を雑感とともにあげてみます。

 

 

 

 

1.I(feat. Verbal Jint)/Teayeon

 

I (feat. Verbal Jint)

I (feat. Verbal Jint)

 

この曲は、とにかく歌っていて気持ちがいいです(※ラップ部分は除く)。声がどんどん伸び、世界が広がっていく感じ。

 

歌詞も情景が浮かんでくるようなとても素敵なものなのですが、作詞にテヨン本人が関わっていたのは驚きでした。自分の中で、とにかくメンヘラ、というイメージのテヨンが、こんなに爽やかな歌詞を書くなんて、と。

 

それから、私はソシの曲をそれほど熱心に聞いたことがなく、正直テヨンの歌のうまさが未だによくわかっていないのですが、この曲を聞いて、テヨンの歌が支持される理由が少しわかるような気がしました。

 

テヨンの声って、スッと耳に入ってくるんです。ソニのようなアニメ声でも、ジェシカのような金属質な声でも、ユリちゃまのようなこもり声でもない。テヨンの声は、太いけどくどくなくて、聞いていて疲れない。

 

そう考えると、誰にでも歌えそうなこの曲も、テヨンだからこそ成り立つ歌、なのかも知れません(とか言いつつ私カラオケでこの曲めっちゃ歌うけど)。

 

 

 

2.The Closer/VIXX

 

The Closer

The Closer

 

初めて聞いたときは、制服姿のイメージ画像に比べてなんて地味な曲なんだ、と肩透かしを喰らったものです。が、こちらは聞けば聞くほど好きになっていくスルメ曲。ジワジワと良さがわかってきます。音楽番組での成績はパッとしませんでしたが、何年かしたら長い脚を活かした振り付けとともに名曲に位置づけられていそうです。

 

ラスボスケンちゃんに全びょるぴ(=VIXXのファン)が歓喜した『Kratos』のタイトル曲であるこの曲は、ケンちゃんのパートが他の曲に比べてかなり多い気がしますが、ケンちゃんの曲、という印象はあまりありません。

 

今までも、もう一人のメインボーカルであるレオが、いい意味で何をやってもレオ、という強い個性を発揮していたのに対し、ケンちゃんの歌が目立つことはなかったように思います(というか『別れの公式』まで、VIXXは基本えねねん無双状態だったと思う)。

 

それがこの曲では、ケンちゃんの歌のその主張の弱さ(上手なのに全体から見ると何故か目立たない)を逆手に取り、他のメンバーに個性が活きる美味しいパートを与えつつも、全体としては誰か一人が圧倒的に目立つのではなく、一つの曲、一つのグループとして纏まりのあるものに上手く仕上げてきた気がします。

 

それから歌詞を見ていても、今までだと好きな人への思いをこじらせて憂鬱になり後ろ向きなものが多かったのが、この曲では、(相変わらず【お上品に】ですが)女性を誘惑していて、グループとしての成長・成熟を感じられます。

 

ちょっと前まで、VIXXで一番好きなのは「G.R.8.U」だったんですが(勿論今も好きですが)、今はこの曲が断トツで一番です。今のVIXXをよく表している曲だと思います。

 

 

 

3.蝴蝶少女(Don't Go)/EXO-M

 

Don't Go

Don't Go

 

私が思う12人時代のEXOの最も優れた点は、一つの曲をEXO-KとEXO-Mで聞き比べることができたこと、です。

 

爆発的に売れたのは、完全体として出した曲でだったけれど、12人EXOのウリは、EXO-KとEXO-Mの美しいシンメトリーだったのではないかと最近思うようになりました。

 

曲によってどちらのグループの方が好きかというのは変わってきますが、この歌に関しては、私は断然M派です。

 

この歌は曲調も歌詞もとても可愛らしく、非常にロマンティックです。幻想的であるというイメージが、中華組の2次元ビジュアルに重なります。また歌唱の面でも、全体的に声が細く優しい印象のMによく合うと思います。

 

(逆に同じ童話っぽい曲でも、過去を振り返っている「Peter Pan」では、深みのあるギョンスの声やハスキーなベッキョンの声が哀愁を感じさせるので、Kの方が曲の世界観に合うと思います。Mだとキラキラした思い出はKよりも鮮やかに浮かびますが、それを振り返ってるという感じはあまり上手く出せていない気がします。)

 

あともっと突っ込んだことを言うと、私のこの曲に対するイメージが、ルハン、なんです。この歌がルハンの甘くて優しい声によく合うということもありますが、この歌を聞くと、可憐な容姿でいつも控えめにニコニコ笑っていたルハンが思い浮かびます。

 

相次ぐ脱退で完全体に飲み込まれ、今や完全に消滅してしまったEXO-Mですが、曲を聞いているときだけは確かにそこに存在していると思えるので、Mっ子贔屓だった身としては、今でも無性に聞きたくなる時があります。

 

 

 

4.Airplane/F(x)

 

Airplane

Airplane

  • f(x)
  • ポップ
  • ¥250

 

この曲はとにかく歌詞が好きです。恋の始まりから終わりまでを、飛行機が離陸して着陸するまでに例えています。ふわふわしているようで、実はすごく冷静に物事を捉えているのではないかと思わせる部分もあり、それがなんだかすごくえぷっぽいなあと思います。

 

またボーカル組ではない三人の声、ソルリの綿あめみたいに甘ったるい声、アンバーのハスキーでどこか哀しみを感じさせる声、ビクオンマのちょっとこもった柔らかな声が本当に素敵で、この曲ではそんなそれぞれの声の良さがよく出ていていると思います。普段は隠れがちな三人の声を楽しめるのがよいです。

 

収録アルバムの『PINK TAPE』は、この曲に限らずいい曲がたくさん詰まってるし、アートワークもかなり凝っていて名盤だと思います。付属の写真集の中にはカイスタルもありますが、今見てもこの二人は絵として最強です。カイスタルに抵抗がない人だったら絶対にお薦めします。

 

ところで、えぷはこの曲然り、『Electric Shock』の「Jet」然り、『RED LIGHT』の「MILK」然り、タイトル曲ではない曲の方が、皆の持つえぷのイメージに近いのはなぜでしょうか。

 

ティーザーと実際に公開されるタイトル曲の持つ空気が全然違う、ということが定着しているのは、クリエイティブ・ディレクターであるミン・ヒジン大先生が、F(x)という最高の被写体を前に舞い上がり、タイトル曲を無視して自分がやりたいことをやっているだけだからだと思うのですが。

 

ただヒジン大先生は曲には合っていなくても、必ずえぷに合うものを当ててくる辺り、憎めないですよね。でもこれもこれで結構大問題なんじゃないかなあ...。まあ何をやらせても様になるくらいえぷのポテンシャルがすごいってことで!(←逃げた)

 

 

 

5.I Wanna Love/TEENNTOP

 

사랑하고 싶어 I Wanna Love

사랑하고 싶어 I Wanna Love

 

TEENTOPの良さとは何かを考えたとき、一番最初に浮かんできたのは、軽さ、でした。

 

どんなに悲しい歌詞の曲を歌っても、好きな人に対する気持ちが強すぎて大暴走な前のめり系執着男子・INFINITEや、好きな人を大切に思うあまりその思いをこじらせる憂鬱貴公子・VIXXのような、重さや暗さが彼らにはありません。

 

ティンタプのように悲しみをさらりと表現するグループは、数多のアイドルがひしめくK-POP界でも珍しい気がします。

 

私はひねくれた人間なので、重い曲や暗い曲が大好きなのですが、そういう曲を聞き続けているとしんどくなることもあるわけで、そういうときにティンタプの曲をよく聞きます。

 

この曲もティンタプらしい爽やかな悲しみが光る一曲で、失恋して辛くて苦しい思いをしたけれど、また恋をして、そして愛したい、という気持ちを歌っています。

 

ティンタプに対するイメージって、曲でいうと「Be ma girl」みたいな元気で明るいイメージが強いのかなあって感じるのですが、表現者としての彼らにしかない良さは、先述の通り、むしろこういう悲しい曲でこそ発揮されているので、こういう曲も広く聞かれるようになるといいなあと思います。

 

余談:音楽番組では無冠に終わりましたが、ティンタプの「To You」はダンスも含めてK-POP史に残る名曲だと信じております。初一位の「CRAZY」より、「To You」の方がティンタプのよさ・らしさが絶対出てると思う。

 

 

 

6.イゲ ムスン イリヤ/B1A4

 

イゲ ムスン イリヤ ~What's Happening

イゲ ムスン イリヤ ~What's Happening

  • B1A4
  • ポップ
  • ¥250

 

「歩いてみる」や「LONELY」も、びっぽの持つ繊細な魅力を感じられて好きなのですが、頭の中で突如流れる回数が圧倒的に多いのはこの曲です。サビの「イゲ ムスン イリヤ イロケ チョウン ナレ」や「wassup wassup tell me tell me wassup」がとにかく耳に残ります。

 

ジニョンさんの実体験に基づいて作られた、彼女に浮気された男の気持ちを歌ったこの曲は、悲しいはずなのにとってもコミカルです。

 

びっぽの曲は、繊細なものと、コミカルで可愛いものとに分けることができると思っていて、どっちのタイプも素敵なんですが(びっぽの曲は総じて耳あたりがよく、優しいような)、私は後者によりびっぽらしさ、びっぽにしか出せない色を感じます。

 

悲しい内容の曲におけるびっぽのコミカルさは、先ほど言及したティンタプの軽さと並んで、いい意味でかなり異質で、武器なんじゃないかなあ。

 

 

 

7.SherlockSHINee

 

Sherlock (Clue + Note)

Sherlock (Clue + Note)

 

2008年デビューで見かけ以上に長いキャリアを積んできているSHINee。色んな曲がありますが、陰か陽かで言ったら、彼らの曲に対するイメージは間違いなく、陽。私の中で、彼らは名前の通り明るくキラキラした王子様、幸せな明るい曲を歌っているという印象がとても強いです。

 

今自分が夢中になっている憂鬱貴公子VIXXの世界観と丁度対になるのが、キラキラ王子SHINeeの世界観かも知れません。

 

私はどちらかと言えば、明るい話よりも暗い話に惹かれるタイプなので(二回目)、しゃいにー先輩のキラキラした世界には本格的に足を踏み入れませんでしたが、彼らこそアイドルの王道だなあと思います。

 

この曲は、歌やダンスの技術的な面での平均値の高さはK-POP随一、と言われている彼らのかっこよさを、存分に楽しめる曲です。

 

探偵がモチーフになっていますが、個人的には、キラキラ王子が冒険に出て逞しさを手に入れる希望と光に満ちた曲、と思っております。

 

 

 

8.Fiction/BEAST

 

Fiction

Fiction

 

びっぽやしゃいにーもそうですが、びすとの楽曲って粒ぞろいだよなーと思います。アルバムを通しで聞いたことがないため、偉そうなことは言えないのですが、とにかくタイトル曲にははずれがない。びすとは他のグループのファンからも、曲がかっこいいよね、って言われているのが印象的なグループです。

 

そんなわけで中毒性の高い「Beautiful Night」や、意外な魅力が詰まった「How To Love」など、好きな曲はたくさんあるのですが、BEASTと言えば、やっぱりこの曲、と思ってしまう私は、きっと色んな意味でツウではないのでしょう。

 

でも、同じメロディーを何度も繰り返す感じとか、美しい表現だけど好きな人に対してかなり執着している内容の歌詞とか、サビの特徴的な振り付けとか、所謂K-POPらしさ、が詰まっているのがこの曲の良さだと思うし、そういうところが私は好きです。

 

 

 

9.SOMEBODOY TO LOVE/BIGBANG

 

SOMEBODY TO LOVE -KR Ver.-

SOMEBODY TO LOVE -KR Ver.-

  • BIGBANG
  • ポップ
  • ¥250

 

私が初めて好きになった韓流アイドルはティンタプでしたが、K-POP、つまり楽曲に対しても興味を持つようになったのは、BIGBANGを好きになってからです。ビジュアルを見て、これはないわ、と思ったBIGBANGですが、この曲で一気に落ちました。

 

この曲を聞いて私が思い浮かべたのは、愛に飢えた若者が、寒い冬に薄着で一人高層ビルの屋上にいて、ひねくれ、感傷に浸りながらも、何かを見つけようと大都会の夜景を眺めている、というもので、それが当時の私自身の在り様にどこか似ていたからなのか、ピコピコ電子音がストン、とそのイメージとともに心に入ってきたのでした。

 

この曲は、日本でシングルのカップリング曲として出されたもの(「SOMEBODY TO LUV」)と、それを作り直して後に韓国で出したアルバムに収められたもの(「SOMEBODY TO LOVE」)とがあります。

 

私が最初に聞いたのは前者ですが、制作に関わったG-DRAGONが、納得のいく形にして出したいと思った、と言うだけあって、韓国版の方が歌詞や音の構成がより練られたものになっています。

 

韓国版の最後の大サビ前のパートの歌詞、和訳すると「誰かと別れ 誰かをまた探して/誰かの男として 女として 僕は誰?/誰かと誰かを /誰かの男として 女として 君は誰?」となるそうで、これは安易にまとめられたような印象を受ける日本版の歌詞とは違い、かなり深い部分を衝いている気がして好きです。

 

二番のサビ前のパートにおけるヨンベの声にしても、甘くて太くて濃いのが彼の声の魅力ではありますが、日本版だとこのパートは全部英語ということもあってか甘さが強く、曲に合った軽快さが足りない気がするのですが、韓国版だと日本版よりちょっと低く聞こえるし、そこはかとなく男らしさを感じさせつつも軽快でクールな感じが曲によく合っていると思います。

 

 

 

10.Julia ーJapanese Versionー/INFINITE

 

Julia

Julia

  • INFINITE
  • ポップ
  • ¥250

 (※日本語版が出てこなかったので、とりあえずオリジナルの韓国語版をあげています)

 

日本のK-POPファン界隈では、色んな観点から見て日本語版は作らなくていい、という声をよく聞きます。私も基本的にはそういう考えなのですが、この曲は原曲の持つ空気を失わずに、日本語に置き換えるのに成功した曲だと思います。 

 

実を言うと、韓国で出されたオリジナル曲を聞く前に、日本語版をかなり聞き込んでしまった、ということもあるのですが、この曲に関しては日本語版あるあるの謎の歌詞(なんでこうなった?)にはなってないと思うし、あながち間違いじゃない、はず!

 

ピニの曲は陰か陽でいうと陰のイメージだと思いますが、切ないけれど可愛らしいこの曲と、ピニの曲ではかなり珍しいであろう、これぞ陽、な「Man In Love」という曲だけをとにかく聞いていた時期があったので、好きな人に執着する男の気持ちを歌った、ピニらしいと言われているような曲を聞くと、とても新鮮に感じられます。

 

 

 

 

...とまあこんな感じですかね。

 

書いていてちょっと不思議だったのは、そうしようと考えていたわけでもないのに、贔屓にしているグループの曲に偏らなかったこと。

 

私は、贔屓にしているグループ以外の人たちの曲は(過去贔屓にしてい人たちのものは別として)、好みでない限りまるで聞かない人間なので、この結果はちょっと意外でした。

 

ていうか、あれだ、重い曲とか暗い曲が好きだと言ってる割に明るい曲や可愛い曲が多いのは、潜在的にはそっちの系統の方が好きってことなんですかね?

 

あるいは今の私は、大好きな重い曲や暗い曲も聞けないくらいに疲れている、ということなのでしょうか?

 

(あ、コレは大いにあり得るな...)

美人になりたい女の話

彼女は華の女子大生だが、流行りの服に身を包むことや化粧をすることやお洒落な髪型にすることにあまり興味がない。



身軽さを捨ててまで着飾りたいとは思わないので、いつもパーカーにジーパンにスニーカー。本当はもっと楽なスウェット上下とかジャージ上下で登校したいけれど、運動部でもないのにそれはどうかと思う、と周りに止められたので我慢している。


化粧をしたり、髪の毛をセットするのに時間を割くくらいなら、睡眠を取ったり、ごはんを食べるのをゆっくりと楽しみたい。あんまり肌荒れとかしないけど、化粧は肌に負担がかかるだけで上手くできないし、落とすのも面倒だ、髪の毛は櫛で梳いて邪魔にならないようにまとめておけばそれで十分。



彼女がそのように説明したら、彼女の友人はこう返した。それはあなたが美人だからだ、と。



友人の言葉には毒も棘もなかった。それはとてもさらりとしたもので、いつもの調子であった。もともとこの友人は彼女とは正反対で、言葉をあまり使わない。それは短くはない付き合いの中ではっきりと分かっていることだ。しかし、返ってきた言葉が言葉だっただけに、彼女はしばし考え込んでしまった。



彼女は自分のことを特に美しいとは思わない。そしてまた醜いとも思わない。敢えて言うなら、自分の容姿はこんなものだ、と思うだけだ。もしかしたら、それこそが自惚れだと言われるのかも知れない。でも彼女は、自分の容姿は少なくとも自分にとって美人と呼べるようなものではない、と思っていた。



そもそも何を美とするのかは、個人の感覚の問題だ。勿論多くの人が美しいと感じるものというのは存在するが、それが正解というのではない。



例えば彼女は、女優の范冰冰(ファン・ビンビン)のことを范冰冰様と呼び、その美しさを崇め奉っているが、彼女の母は、范冰冰のことを特に美人だとは思っていないし、なんだか品のない顔だねえ、などと宣う。


逆に母が美人だと言う、すみれのことを、彼女は美人だとは思わない。ものすごく性格の良い素敵な女性だとは思うけど、でもやっぱりどう見たってすみれは彼女にとって美人ではないのだ。



つまり、彼女が自分では美人ではないと思っていても、友人は彼女のことを美人だと思っている、ということはあり得なくはない。



あるいは友人は、別に彼女のことを美人だとは思っておらず、ただ身なりに無頓着すぎる彼女のことを、ちょっと回りくどい言い方で窘めようとしたのかも知れない。


この友人は、重要な途中式を飛ばして、結論だけをポーンと相手に投げる節がある。とすると、これは何も不思議なことではない。


彼女はそんなことを考えたが、結局友人の真意を掴むことができなかった。



しばらくして、特に返事を待っているわけでもなさそうな友人に、彼女は言った。なんとも言えない曖昧な笑みを浮かべながら、そんなことはない、と。



彼女は内心、美人だ、と言われて舞い上がっていた。事実おめでたい彼女は、その日家に帰ってすぐさまその出来事を母に報告した。友人からあなたは美人だと言われた、と。


幸か不幸か、母は娘ほど露骨に美醜に拘る人ではなかった。思ったような反応を得ることができなかった彼女は母に向かって大いに不満を示したが、それでも相手にされなかったから、最後には不貞腐れて自室に籠った。


彼女は何か特筆すべき出来事や教訓があった時にだけ筆を取り、日記帳と称したノートに向かう。


“今日私は美人と言われた。すごく嬉しくて母に報告したが、ビックリするくらいに反応が薄かった。ちょっとショックだけどまあ気にしない。だって私は美人なんだから。”


その日は久々にノートを開いた日だったので、上の文章を書いたところで、ページをパラパラと捲って遡り、いつのまにか一番最初のページにまでたどり着いた。そしてそこに並んでいた文字を見て、彼女は、あ、と短く言った。


初めのページには次の文章が書かれてあった。


“美人とは、まず第一に他人からの称賛にとびきりの笑顔で応えるものである。そして自分のことを美人であると思っていたり、自分が美人であるとわかっていても、決して人前では自分のことを美人とは言わない強かな者である。ただし美人の中でもさらに美しい者たちだけは、自分を美人だと言っても許される。ちょっと美人だと言われただけで、気が狂ったように浮かれたり騒いでしているのは、美人でもなんでもない、本当に取るに足らない者たちばかりである。”



斯くして彼女は、過去の逞しい限りの自分自身によって打ちのめされた。



彼女が美人になれる日は果たして来るのだろうか?






彼女とは、何を隠そうこの私である。

きみはアイドル~日韓アイドルを見比べて思ったこと~

「日本のアイドルと韓国のアイドルの違い」というのは、頻繁に取り上げられている議題だと思うのですが(特にK-POP界隈)、今日は無謀にもそれについて語ってみようと思います。



本題に入る前に論者である私自身の立場を明かしておきます。


私はドルオタを名乗ってはいるものの、その度合いはおそらくかなりライトです。ブログで暑苦しい思いをぶちまけている割に、彼ら彼女らにお金を落としていないし、イベントなどの現場には滅多に行かないので、所謂茶の間ファンと言って差し支えないでしょう。


日本のアイドルで追いかけている(いた)のは、ジャニーズだけで、女性アイドルで知っているのはせいぜいモーニング娘。AKB48くらい、韓国のアイドルも自分が贔屓にしている(していた)グループ以外は、ほとんどわかりません。


また私は音楽やバレエやジャズやヒップホップなどの踊りの素養が皆無な人間です。


そんな訳で、本格的な比較・評論からは程遠く、本当に思ったことをただひたすらに語るだけになりますが、そんな素人目線な語りを楽しんで頂ければ幸いです。





では、本題に入りましょう。


日本のアイドルと韓国のアイドルの違いは何か、私が一番大きく感じ、最も重要だと考えている違いはこちら。


「“自分の職業はアイドルである”という意識の差」


これ説明するの難しいんですけど、日本のアイドルは、「自分はアイドルだ」という意識が強いように思います。アイドルらしい振る舞いをしているか、ということはさておき、「自分は世間からアイドルと思われている」という意識が強い。一方で韓国のアイドルは、「自分はアイドルだ」という意識が日本のアイドルほど強くないと思うんです。


例えば、日本のアイドルは「私はアイドルです」というようなことをよく口にすると思うのですが、韓国のアイドルはあまり自分のことを「アイドル」とは言わない気がします。「あなたの職業は何ですか?」と聞かれると、殆どが「歌手です」と答えていて、「アイドルです」と答えている人はごく稀です。



この違いは、今の職業に就いたきっかけや理由を答える場面でも同じです。


V6の剛くんに憧れてジャニーズ入りした関ジャニ∞の大倉くんや、モー娘。が大好きで自分もアイドルになったHKT48さっしーのように、日本では「アイドル」に憧れて「アイドル」になった、という人が結構多いと思います。


一方韓国では「アイドル」になりたくてなった、と言う人はものすごく少ないです。例え憧れの人が「アイドル」と呼ばれる存在で、現に自分も「アイドル」に分類される存在であっても、憧れの人を見て、自分も「歌手」になりたいと思った、と言う人が多い。


憧れの存在を「アイドル」ではなく「歌手」と捉えているのか、ということは曖昧ですが、何にせよアイドル本人たちが「アイドル」と名乗ること、呼ばれることを、嫌う、避ける、そんな傾向が強いような気がします。


韓国のアイドルは、「スター」とか「アーティスト」とか「セレブリティ」と称されるのを好みます。BIGBANGを擁するYGの「私たちはアーティスト」感をやたらと醸し出してくる感じとか、最大手のSMのイ・スマン大先生の「これからはセレブリティの時代だ」みたいな発言(正直この発言というか発想はクソダサいし、だいぶイタイと思う)とかもろにそうです。


よくわからないけれど、韓国のアイドルは欧米志向なのかなあと思います。ディズニーアイドル出身で今ではすっかりセレブリティになっているマイリー・サイラスみたいな、出てきたときは「アイドル」でも、どこかで「脱アイドル」していく感じ。


なんだろう...「アイドル」でいられなくなる前に「脱アイドル」をすることによって生き残ろうとする、というのかな。「アイドル」は基本的に若くて新鮮で、カッコよくて可愛くて、キラキラしていることを求められる存在だから、年を重ねていくなかで、いつまでも「アイドル」でいることは難しいです。


そう考えると「アイドル」よりも「アーティスト」を目指したりだとか、「脱アイドル」に舵を切る、というのはごく自然な事なのかもしれません。


というか、これって逆に日本のアイドル文化が世界の中ではかなり特異なことがわかりますよね。


日本は「アイドル」の息が長いと言われていて、たとえばジャニーズの40過ぎのオジサンをなんの躊躇いもなく「アイドル」と呼んでいる。司会者や役者、バラエティー番組の雛壇タレントとしての活動もあるけど、彼らは「アイドル」で在り続けています。よくよく考えるとちょっと怖い気が。


ジャニーズって、日本のアイドルのなかでも特殊でもはや「ジャニーズ文化」を築いてる感じがします...ってあれ、ジャニーズについて語るところじゃなかった!



でも私は入りがジャニーズなので、ってジャニーズにこだわりすぎるのはあんまりよくないとわかってはいるのだけれど、だけどやっぱり私がアイドルにハマったのはジャニーズがきっかけで、それがすごく楽しかったから、コロコロ対象を変えながらもこうしてドルオタを続けているのです。


韓国のアイドルにはジャニーズとはまた違った韓国のアイドルならではのよさが勿論あると思うけど、あくまで私は「ドルオタ」なので、私が追いかけるのは、私が追いかけたいのは、あくまでも「アイドル」であって、「アーティスト」ではないんです。


(あ、今ふと思ったんですけど、私がBIGBANGに冷めた理由の一つは、彼らを「アイドル」として見れなくなったからなのかも知れません。)


韓国のアイドルの中で私が今最も推しているVIXXも、自らを「アイドル」と名乗ることがほとんどないグループで、もれなく「アーティスト」志向の持ち主ですが、私は彼らをものすごく向上心のあるえげつない「アイドル」だと思っています。


少なくともCDの発売の際にサイン会や握手会やハイタッチ会を開催するというのは、楽曲そのものではなく本人たちと会えるということを売りにしているわけで、そしてそれは「アイドル」がすることだと私は思うから(まあ私はその手のイベントには全く参加しないけど)、VIXXに限らずこういうイベントをしている人たちについては、どれだけ本人が「私はアーティストだ」と思っていたとしても、「きみはアイドルだ」と思います。


楽曲が超絶お洒落だとか、歌やラップがめちゃくちゃ上手いだとか、振り付けが難しいけど完璧に自分のものにしているとか、確かにそれはそれで素晴らしいけど、結局「その人がしているから」というところに全ての好きが集約される限り、その人は「アイドル」なのだと思うのです。



韓国のアイドルが「アイドル」を避ける姿を目にするとき、「アーティスト」になりたい気持ちはわからなくもないけれど「アイドル」を低い場所にあるものとして捉えないで欲しいな、といつもいつも思います。


歌唱力に優れていたら、ダンスがすごく上手だったら、「僕は、私は、アイドルじゃない」、なんて言わないで。


歌唱力に優れている、ダンスがすごく上手だ、「僕は、私は、そういうアイドルです」、と胸を張って笑顔で言ってくれたら。


反対に、


歌が下手だから「アイドル」、ダンスが下手だから「アイドル」、顔がいいだけだから「アイドル」、なんじゃなくて。


歌が下手でも、ダンスが下手でも、顔がいいだけだと言われても、人を引き付ける力があるなら、それだけで立派な「アイドル」。


求めるものは本当に人それぞれで全然違うけれど、そんな求めるものが全く違う人たちが一つの枠の中で楽しめてしまう、それが「アイドル」で、それって本当に本当にすごいことだから、「アイドル」は偉大な存在だと私は思います。


もし我が愛しのVIXXが「僕たちはアイドルではなくアーティスト呼ばれたい」と面と向かって言ってきたとしても、私は「きみたちは素晴らしいアイドルだ。アイドルはアーティストになれるかも知れないけれど、アーティストがアイドルになれることはない。私は偉大なアイドルのきみたちが好きだ。」と言うでしょう。


「ドルオタ」としては、できるだけ長く「アイドル」でいて欲しいというのが本音です。




日本と韓国のアイドルの違いを語るつもりが、最後はドルオタの自分勝手な願望をぶちまけただけになっちゃいました。でも、ドルオタが「アイドル」について語ろうとすると絶対こうなると思います。繰り返しになりますが、同じアイドルを好きでも、そのアイドルがどんな存在であるか、というのは人によって全く違うから、どうしようもないです...っていう言い訳(笑)。


色々書き散らしましたが、私は「ドルオタ」なので、日本、韓国を問わず、「アイドル」がキラキラ輝いている世界であればいいし、そういう世界のなかで生きていきたいと思っています。


以上!




追伸

親愛なる岡田氏、陸上競技界における私の最強アイドル・アリソン、最近気になるびっぽのジニョンさん、お誕生日おめでとうでした。

岡田准一アリソン・フェリックス、チョン・ジニョン、この3人が同じ11月18日生まれってなんかすごくないですか?

素敵な偶然...!!!

MVの呪縛を解く~2016年VIXX3部作を見て思ったこと~

つい先日、我らがVIXXの、2016年VIXX流ギリシャ神話概念3部作の完結編にあたる『Kratos』が発表されました。


きっとみんな首をながーくして待ってたよね?
わーい、ぱちぱち。やっと3つのMVが出揃ったー。



さて、この3作品に対する私の反応はというと...


第1部の『Dynamite』では、それまでになかった含みを持たせた見せ方に違和感を持ち、
第2部の『Fantasy』では、その本気さと壮大さを受け止めきられずに落ち込み、
第3部の『The Closer』では、もう知らねえ!と思いました。


はっきり言いましょう。


私はこの3つのMVが嫌いです。


...あ、嫌いは言い過ぎかな。


まあとにかく好きではないです。


いずれのMVも通しで見たのは一度きり、多分これからも熱心に見ることはないでしょう。


でもね、別にそれでええやんか、って思うんです。


無理に好きにならんくてもええやん、って。





ぶっちゃけると、公開直後に『The Closer』のMVを見て、ああまたこのパターンかい!ってめっちゃ腹立てました(笑)。


それで「MVにおける謎解き遊びの強要は止めてくれ」って題で、何故自分はこの一連のMVが嫌いなのか理由を書いて、記事としてあげようとしてたんです。


こんな感じで。




私は見た目至上主義者なので、MV鑑賞においては、ヴィジュアル以外はさほど気にしません。


ヴィジュアル面以外を見る気も掘る気もないし、掘るために必要な知識や技術や根性もありません。K-POPを語る上では欠かせないコンセプトにもほとんど興味がありません。それでも十分楽しめました。


ところがVIXXの前に追っていたEXOの『CALL ME BABY』のティーザーや『LOVE ME RIGHT』のMVで、抜けたメンバーを思わせるようなカットを目にし、非常に不愉快な思いをしてからは、何か含みを持たせたような、何かを仄めかすようなカットに過剰に反応するようになり、それまでのように純粋に楽しむということが難しくなりました。

所謂トラウマってやつです。


コンセプトドル(=コンセプトを消化し具現化するのが上手いアイドル)たるVIXXは、一目見ただけで何であるのかがわかるというのがウリなわけで、それ故に彼らのMVは意味深カットが非常に少なかったと思うんです。


これは私がVIXXにハマった大きな理由の1つで、VIXXのMVは安心して見ていられる、本当にありがたいものだと思っていたのに、今年発表された3つの作品はいずれも意味深カットが満載で、言葉は悪いけど、裏切られたって思いました。



そもそもVIXXの中には、好みの顔の人がいないんです。


顔はそんなにタイプじゃないけどハマったアイドルというのは過去何人もいるけれど、私のドルオタ人生の扉を開いたのは岡田くん(毎度お馴染みV6岡田准一氏)の美しい顔だったので、どうしても顔にこだわってしまうところがあります。


無論、キレイ、カッコイイ、と思うのと、好みであるか、というのはまた別なので、いくら世の中にアイドルが星の数ほど存在するとは言え、好みの顔の持ち主に出会うことはなかなかありません。


K-POPの中で好みの顔と言えば、もう中国に帰っちゃったけど、EXOのクリス兄ちゃんとタオちゃんぐらいです。


彼らくらいドストライクな顔の人だと、どれだけ変な髪型にされようが、奇抜なメイクをされようが、理解不能な服を着せられようが構わないんですよね。


似合う似合わないはあるかも知れないけれど、美しい顔面の前ではすべてがどうでもよくなっちゃう。


私が意味深カットを乗り越えるには、それくらい好みの顔の人がいないと駄目なのです。



それから、VIXXが今年1年のテーマとしてギリシャ神話を取り上げていると知った時、曲がりなりにも文学部に籍を置く身として、非常に危険なことだと思いました。


私は、K-POPにおけるコンセプトはあくまでアイドルの魅力を引き出すための道具だと考えています。


だからヴァンパイアやサイボーグぐらいならともかく、ギリシャ神話という、それ自体が宇宙のような広がりを持った思想・哲学となっているものをコンセプトにする、というのは如何なのものかと。


浅学なのでMVを見ても何がなんだかさっぱりわからないし、VIXX本人たちを含め、制作者側にどの程度の理解があるのかなんて見当もつかないけれど、やはり引っかかるところです。




こんなふうにだらだらと書いていて、でも気付いたんです。


確かにこの3つのMVは好きじゃないけど、私はVIXXのことが嫌いなわけじゃないよな、ということに。


『Dynamite』では軽快な曲に合わせてどこか楽し気に歌い踊るVIXXが見れてそれはそれでよかったし、

これはあかんやつやついていかれへんと思ってた『Fantasy』だって今になってめっちゃええ曲やと思えてきたし、

こんなん地味すぎるやろと思った『The Closer』にしても昨日あたりから脳内をジャックしてるし。


MVは好きじゃないけど(←しつこい)、音楽番組のパフォーマンスを見ていると、やっぱりカッコイイよなって思うんです。もっと彼らの魅力を伝えたいのにその言葉しか出てこないという状態になる。


MVで彼らが謎解き遊びを提供していることは確かだけれど、謎解きを強要されているというのは間違いで、それは自分が勝手にMVにこだわりすぎていただけなんだと思うんです。



もとはジャニーズ沼にいた私が韓流沼に移ってきた理由は色々あるけれど、MVのFull視聴ができる、というのは大きな理由の1つでした。


ジャニーズではMVをFullで見るとなると、CDの初回限定版を買うとか、MV集が出るのを待たないと叶いません。それがK-POPだと自由に見ることができるのです。こんなにありがたく嬉しいことはありません。


だから私は手当たり次第にMVを見ていました。好きなアイドルができても、音楽番組でのパフォーマンスは殆ど見ずに、MVばかり見ていました。


K-POPアイドルは被せの場合もあるけれど、音楽番組では基本的にちゃんと歌います。踊りながら歌うのでやっぱり声が震えたり、音を外したりもするし、踊りにしても手抜きなのかガス欠なのかというメンバーがちらほらいたり。


あとMVは1つの世界でもあるので全体の雰囲気でいいなと思っていても、歌番組の模様を見ると、あれこの人らブサイクやん、ってなることが多く、ガッカリしたくないから、MV中心だったんです。



VIXXのMVがどうしても受け入れられなくて、仕方がないから音楽番組でのパフォーマンスを見てみたら、これがいい。


完璧ではないかも知れないけれど、彼らが全力を尽くしているのがよくわかって、なんかもう泣きそうになってくるし。彼らはやる気と迫力が半端ない。


MVも大事だけれど、それにこだわってばかりで、肝心なところを見落としていたんだなあとしみじみ思いました。彼らが最も見て欲しいのは、舞台の上での姿ですもんね。



MVが嫌なら見なきゃいいんです。


そのMVを彼らが半端な気持ちで作ったのではないとわかっているから、器が小さくて好きになれないのがちょっと残念だけど、でも無理をすることはないと思うんです。


MVは好きじゃないけど、私は彼らが好きなんだから。そういう軽さがあったっていいじゃないか。


誰だって、苦しくなるためや、修行するために、アイドルを追っかけているんじゃないんでしょう?





さて、これから我らがVIXXは、一体どこへ向かうのでしょうか。


多分VIXXがこれから爆発的に売れる、ということはないでしょう。ブレイクした曲が曲だっただけに、VIXXが天下を取るには、大衆性を獲得するというのが絶対条件です。


それは多分本人たちが1番わかっていて、『呪いの人形』で1位を取ってからは、オタクにも一般にも受けるようにとあれこれ試行錯誤していたけれど、ここにきてそれは諦めたのかもしれないと思いました。


諦めたというか、少なくとも今年出した3部作は全体を通じてみると、大衆的ではなかったと思います。


『Fantasy』なんかはファンの中でも難解だという声がよくあがっていました。音楽番組での応援もかなり苦労していた印象があります。



『傷つく準備ができている』から始まった2013年の快進撃のときは、コンセプトが、

ヴァンパイア➡二重人格①②➡呪いの人形

で、見た目にインパクトがあって非常にわかりやすかったので、色んな意味で人目を引きました。


しかし、さっきもちらっと書きましたが、今年のコンセプトのギリシャ神話はそれ自体が宇宙みたいなものなので、これを今までのようにかみ砕いて消化して具現化するというのは、難しいです。


難しいというか、まあ無理だと思います。受け取る側も混乱します。MV1つとったって、もともと私のように掘れない人はともかく、掘れる人・掘ってみた人でもわからんことだらけでした。


おそらくそうなるであろうことはわかった上で、ギリシャ神話を選んだのだと思います。そういう壮大で難解なものを選んだということが、もうすでに制作側の強い意思の象徴です。


今までと似ているようで全く違って、ファンのみんなにも驚かれるだろうけど(だって驚かすためにギリシャ神話を選んだのだ)、それでも「よくわからないけど、なんかすごい」と思われることが今年のテーマだったんじゃないかなあ。


他のグループのファンからも一目置かれる存在になって、K-POPファンの中での評価を高める、K-POPの中での地位を上げる、ということをかなり考えていたのではないかと思います。


直接のファンは言うまでもなく大切ですが、他のグループのファンの中に、自分たちのグループの色やあり方を評価してくれる間接的なファンがどれだけいるかにグループの真価があると言えるでしょう。


VIXXはもともと他グループのファンからの評判がよいグループでしたが、今年の活動を見て、かなりこの間接的なファンが増えただろうと思います。




今書きながらふと思ったのですが、

急がば回れ

なんやろうなぁと。


VIXXは大衆性をなかなか獲得できないから、天下取りを諦めて独自路線を追及することにしたのかと思っていたけれど、きっとそうではなくて。


私はこの半年の間で、彼らがいかに執念深く、牛のように一歩一歩、でも着実に堂々と進んでいく人たちであるかということを、まざまざと見せつけられました。


そう、彼らは決して諦めないし、そんな生ぬるいやつらじゃない。彼らは他のグループに比べて随分先を見据えているように見えます。


賢い彼らのことだから、アイドルにとって最も大事なことは、天下を取ることではなくて、どれだけ長く活動できるか、どれだけ長く輝き続けることができるか、ということだとわかっているのでしょう。


だから個性を捨てるなどの無理や無茶をして天下を取りにいくのではなく、個性を捨てずに少しずつ幅を広げながら着実に評価を高めることで揺るぎない地位を得ること、そしてその結果として天下を取る、ということを本気で考えているのではないかと思うのです。





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\素敵すぎるぜこのヤロー!!!!!!/

23

美しいものが好きだ。



何においても最初の判断は、美しいかどうかということだ。そして私はその判断に異常に重きを置く。
美しいものは殆ど手放しで称賛するが、美しくないものは、はいさようなら、ってなもんだ。



美しいと感じられるものがあると、嬉しくてたまらない。本当に美しいものにお目にかかれると、涙が出そうになることもある。



世の中には美しいものがごまんとある。
だがしかし、その殆どは、美しくないものと一緒に流れて行く。



だって私には、全てに反応し続けるだけの時間もお金も心もない。





私がアメリカの俳優、リヴァー・フェニックスを知ったのは、中学1年生、13歳の時だ。その頃よく読んでいた洋画雑誌の中に彼はいた。



射抜くような鋭い眼差しと、相反するような繊細な雰囲気を持った青年を見て、カッコイイ、でも、綺麗、でもなく、好きだ、と思った。彼は端正な顔立ちの、美しい若者だった。
私はすぐに彼に夢中になった。




私が初めて彼の出演作を見たのは、昨年の丁度今頃である。



大学の空き時間を、映画でも見て潰そうと思って図書館に行き、さて何を見ようかと考えながら棚にずらりと並んだDVDを眺めていると、彼の出演作が目に留まった。
スタンド・バイ・ミー』。
彼の代表作の一つであり、また青春映画の金字塔とも呼ばれている作品である。



本編を見る前、パッケージを見て驚いた。少年リヴァーは、案外ゴツい。
パッケージには、主要登場人物である少年4人組の写真が使われていたのだが、パッと見では誰がリヴァーかわからなかった。



というのも、繊細な雰囲気の美しい青年ということから、私は線の細い少年を想像していたのだが、彼はそのような容姿ではなかったのである(主役を張ったウィル・ウィトンの方がよっぽど儚げであった)。



それ故に彼を美しいとは1ミリも思わなかったし、結果的には自分が持っていたリヴァー・フェニックスに対する偏見みたいなものが崩されてよかったと思う。



見終わって一番最初に出てきた感想は、“ああ、リヴァー・フェニックスはいい役者だったんだな”、ということだった。
彼が演じたクリスという役自体が非常に魅力的なこともあるが、それを考慮しても、彼がいい役者であることに変わりはないと思った。



(映画自体の感想を言えば、見ている最中に「うわぁ」となるようなことはなかった。この映画のよさは、見終わってから時が経てば経つほど身に染みてわかる種類のものだと、今思い出しながら、思う。)




昔あれほど心躍らせた彼の写真を見ても、今の私はもう特に何も思わない。美しいけれど、前のように騒ぐことはない。好きなことに変わりはないけれど、種類が違うのだ。



昔のリヴァーへの気持ちは、多分そんなに真剣なものではなかった。
贔屓にしていたアイドルグループにひと騒動あって、呑気に応援できなくなったところに現れたのが彼だ。あの時丁度雑誌で見かけた彼は、言ってしまえば「渡りに船」だった。
ワーキャー騒ぐことができるくらい美しいものなら、きっとなんでもよかったのだ。




今のリヴァーに対する気持ちは、もしかしたら今最も贔屓にしているアイドルたちへの気持ちと似ているかも知れない。



このブログでたびたび取り上げている、私の暑苦しく身勝手な思いの対象となっているアイドルたちは、今私が最も美しいと思っている人たちではない。はっきり言って、彼らより美しい人などいくらでもいる。
でも、私が見ていたいのは彼らだ。



どうしてだろう。



今好きなアイドルたち、とりわけ最近好きになった方のアイドルたちは、恐ろしいまでに優しく賢く強かだ。彼らが与えてくれる自由という名の部屋の中で、私はせっせと内側からその壁を厚くしている。気の向くままに落書きなんかもして、悦に入る。その部屋の中にいることはとても幸せだ。



...あれ、ということは、私はただひたすらに美しいものが好きなのではなくて、美しいものを気ままに扱える自由が好きなのではないか?
最も美しいものでなくとも、ある程度美しくて、快適な部屋を与えてくれるものであれば、なんでもよいのではないか?



...ということは、私の「好き」は、あの頃とそれほど、いや、全く、変わっていないのではないか?



では、今の私の、リヴァーに対する「好き」は、一体どこから来ているのだろう。






今年23歳になった私は、相変わらず美しいものに目がなくて、何かを悟ったような振りをして、アイドルたちを消費する。



もしかしたらリヴァーのことも、美しさとは違うフィールドで、まだそのように消費しているのかも知れない。




23年前の今日、23歳でなくなった、ということに託つけて、私は今、こうして彼のことを書いているのだから。