読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気の向くままに、心の記録

自称:ドルオタ(仮)。語りたがり。V6と一部韓ドルをゆる~く愛でてます。

私のドルオタ遍歴 その1 ~ジャニーズへの扉~

こんにちは。



さて、今日は少し、昔好きだったアイドルの話をしようと思います。



年始にちらっと触れましたが、アイドルオタク卒業を考えていて、そのためにはちょっと整理した方がいいんじゃないかと思い、とにかく自分のために一度書くことを思い付いた訳です。



とは言っても、一途に一人の人を追いかけてきたわけではなくて、その時々で対象は変わっていったのですが、かれこれ10年以上はアイドルオタク(そこまで重度じゃないけれど)をやってきたので、その変遷も含めて書いてみます。



それでは!ここから私のアイドルオタク遍歴を見ていくことにしましょう。





〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓





①衝撃の美しさ ~V6・岡田准一
(2003年~)



“何なんだ、この美しい顔は!”


それは小学校4年生のある日のことでした。


当時私の周りでは「学校へ行こう」が流行っていて、そんなに面白い面白い言うなら一度見ておこうかな、と思って見たら、テレビ画面に映る、一人の美しい顔の男。


それが、岡田くんとの出会いでした。


それまで私は夜の7時とか8時とかに寝るような健康的な生活を送っていたので、芸能関係には非常に疎かったのですが、岡田くんの美しさに衝撃を受けてから、あれこれテレビを見るようになりました。


小学校の4~5年の頃は、もうとにかく岡田くんが大好きで、岡田くんが出ているテレビは片っ端から見るようにしていたし、母親と喧嘩して(あるいはチャンネル争いに敗れて)、岡田くんの出演している番組を見れなかったら、ワンワン泣くという有り様(幼稚園児か!)。昔も今も我が家には録画機能がないので、見逃すと再放送でもない限り見れない訳で、まるでこの世の終わりのように思ってました。


V6のCDを借りてきて、昔の曲を熱唱したり(近所迷惑!)、岡田くんが出ている雑誌も隈無くチェックして、あまりの美しさに本屋で叫びそうになったことも数知れず。


今にして運がいいなぁ、と思うのは、岡田くんにがっつりハマった頃、彼は23~24歳くらいで、丁度少年らしさも僅かに残る時期だったということです。完全に大人の男の顔になってしまう前の、とても短い期間の特有の煌めきみたいなものを享受できたこと。


後に本人も「25までは綺麗でいようと決めていた」と、どこかで言っていましたが、本当に彫刻のような美しさを誇る岡田くんをリアルタイムで追えたことは、本当に運が良かった。



今はもう、私が好きだった、“ただただ綺麗な顔”ではなくなってしまったけれど、渋みだったり深みだったりがでてきて、“カッコいい大人の男”の顔の岡田くん。きっと素敵な年の重ね方をされているんだろうと思います(官兵衛最高でした!)。



テレビや雑誌、映画やラジオのチェック等積極的に情報を追わなくなった今でも、やっぱり彼は特別な存在です。テレビや雑誌で見かけると、とても嬉しくなります。



一方、一番初めに好きになったアイドルが、岡田くんという自分の好みにドンピシャな顔の持ち主(しかもビジュアル絶頂期)だったが故に、他に好きなアイドルができてもどこか岡田くんと比べてしまうということが多発することに...





②ミーハー街道まっしぐら ~KAT-TUNから嵐へ~
(2005~2006年)


“仁亀最高!”


さて、岡田くんによって私のアイドルオタクへの扉は開かれた訳ですが、ここから随分長い間(約9年)、私はジャニーズ沼に浸かることになります。


というのも(これがジャニーズの最大の良さでもあり、逆に最大の弱さでもあると思うのですが)、日本国内だとジャニーズと肩を並べるほどの知名度や権力を持ったアイドル事務所が存在しないので、他のアイドルを好きになっても、結局同じジャニーズ事務所所属のアイドルである、ということがとても多いのです。


一度アイドルオタクでいることの楽しさ(現実世界での自分の置かれている立場を棚にあげて、好き勝手に異性を品定めでき、そしてファンだという理由だけで対象から全肯定されると感じる傲慢)を知ってしまうと、中々抜け出せないのではないでしょうか?少なくとも、私はそうでした。


岡田くんは、私にとって理想の顔の持ち主ではありましたが、当時は今ほど活発な個人活動はしておらず(ドラマや映画にはちょこちょこ出ていても大作ではなかった)、V6というグループ自体も残念ながらそれほど華々しく活躍していませんでした。よく言えば、V6は小回りのきくグループなのです。


そんな時、売り出されていたのが、KAT-TUN


当時KAT-TUNはジャニーズJr.内で断トツの人気を誇っており、中心メンバーの亀梨和也赤西仁が出演した「ごくせん 第2シリーズ」が大当たり。


クラスでは「亀梨派?赤西派?」なんて話で、よく盛り上がったものです(もこみち派や徹平派も結構いましたが...)。


これを期に、KAT-TUNは、ドラマ、バラエティー、CM、グラチャン(バレーボールの応援プロデューサー)等、露出が激増。


KAT-TUNのメンバーの中に、自分好みの顔がいたわけではないのですが(岡田くんはそう簡単に越えられない)、彼らは見せ方が上手な人たちで、とにかく勢い(今が旬!って感じ)があって、見ていてとても楽しかった。


また、この頃はホストブームが起こり始めていた時期でもあり、“ちょっとヤンチャで悪そうな兄ちゃん"がトレンドだったように思います。楽曲も洋楽のようなものが多く、爽やかアイドル路線ではないKAT-TUNは、世間のニーズに見事にハマった、ということなんでしょう。


「ごくせん」でのブレイクから翌年のCDデビュー、勢いに乗って24時間テレビと目覚ましい活躍をしていたKAT-TUNでしたが、その年の秋、激震が走ります。


赤西仁、米国語学留学


CDデビューして1年も経たぬ内に起きた、人気メンバーのグループ活動からの離脱は、大きな打撃でした。亀梨くんと赤西くんは“KAT-TUNツートップ"とよく言われていましたが、実際は赤西くんの方が人気の面では頭一つ、抜け出していたように思います。また、赤西くんのファンはたくさんいたけれど、それと同じか、それ以上に仁亀(赤西×亀梨)ファンというのが存在していて(私はこのクチでした)、赤西くんが離脱することにより仁亀が見れなくなる、ということが最大の悲劇でした。


というのも、ジャニーズにはシンメ(対になる二人のメンバー)というものがあり、古くにはV6の坂長(坂本×長野)、剛健(森田×三宅)なんかがあったりするのですが、特にこの仁亀というのはグループを引っ張る二人の組み合わせということで、ファンの間のみならず、世間にも割と浸透していて、非常に人気が高かったのです(裏を返せば仁亀とその他4人の格差が1番凄まじかった時期でもあります)。


二人がシンメじゃなかったら、あそこまで打撃は大きくなかったんじゃないかとさえ思うほどです。


赤西くんというグループの顔をなくし、仁亀という奇跡のシンメが見れなくなり、急速にその輝きと勢いを失ったKAT-TUNを尻目に、じわじわと勢力を拡大し始めていたグループがありました。


...そうです、嵐です。


それまでにない刺々しいヤンチャなアイドルとして世間を賑わせていたものの、はっきりと目に見える格差社会であったKAT-TUNとは反対に、メンバー同士の仲が非常に良さそうで内向きに見える嵐は、KAT-TUNのゴタゴタを見てからだと、尚好感度が高かった。


メンバーの一人である松潤が、岡田くんと映画(「東京タワー」)で共演していて、岡田くん同様色っぽい人だなぁ(雰囲気似てて格好いいなぁ)という認識があったこと、楽曲が好みだったこと(私が初めて手に入れたジャニーズのCDは実はV6のそれではなく嵐の「サクラ咲ケ」でした)、2005年の「花より男子」にただハマりしたことから、岡田くんやKAT-TUNを追いつつも、私はそれなりに嵐のことも気にかけていたのです。





~続く~