気の向くままに、心の記録

自称:ドルオタ(仮)。茶の間のくせに語りたがり。V6とVIXXは特別な存在です。彼らのことを中心にその他のことについても書きます。

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美しいものが好きだ。



何においても最初の判断は、美しいかどうかということだ。そして私はその判断に異常に重きを置く。
美しいものは殆ど手放しで称賛するが、美しくないものは、はいさようなら、ってなもんだ。



美しいと感じられるものがあると、嬉しくてたまらない。本当に美しいものにお目にかかれると、涙が出そうになることもある。



世の中には美しいものがごまんとある。
だがしかし、その殆どは、美しくないものと一緒に流れて行く。



だって私には、全てに反応し続けるだけの時間もお金も心もない。





私がアメリカの俳優、リヴァー・フェニックスを知ったのは、中学1年生、13歳の時だ。その頃よく読んでいた洋画雑誌の中に彼はいた。



射抜くような鋭い眼差しと、相反するような繊細な雰囲気を持った青年を見て、カッコイイ、でも、綺麗、でもなく、好きだ、と思った。彼は端正な顔立ちの、美しい若者だった。
私はすぐに彼に夢中になった。




私が初めて彼の出演作を見たのは、昨年の丁度今頃である。



大学の空き時間を、映画でも見て潰そうと思って図書館に行き、さて何を見ようかと考えながら棚にずらりと並んだDVDを眺めていると、彼の出演作が目に留まった。
スタンド・バイ・ミー』。
彼の代表作の一つであり、また青春映画の金字塔とも呼ばれている作品である。



本編を見る前、パッケージを見て驚いた。少年リヴァーは、案外ゴツい。
パッケージには、主要登場人物である少年4人組の写真が使われていたのだが、パッと見では誰がリヴァーかわからなかった。



というのも、繊細な雰囲気の美しい青年ということから、私は線の細い少年を想像していたのだが、彼はそのような容姿ではなかったのである(主役を張ったウィル・ウィトンの方がよっぽど儚げであった)。



それ故に彼を美しいとは1ミリも思わなかったし、結果的には自分が持っていたリヴァー・フェニックスに対する偏見みたいなものが崩されてよかったと思う。



見終わって一番最初に出てきた感想は、“ああ、リヴァー・フェニックスはいい役者だったんだな”、ということだった。
彼が演じたクリスという役自体が非常に魅力的なこともあるが、それを考慮しても、彼がいい役者であることに変わりはないと思った。



(映画自体の感想を言えば、見ている最中に「うわぁ」となるようなことはなかった。この映画のよさは、見終わってから時が経てば経つほど身に染みてわかる種類のものだと、今思い出しながら、思う。)




昔あれほど心躍らせた彼の写真を見ても、今の私はもう特に何も思わない。美しいけれど、前のように騒ぐことはない。好きなことに変わりはないけれど、種類が違うのだ。



昔のリヴァーへの気持ちは、多分そんなに真剣なものではなかった。
贔屓にしていたアイドルグループにひと騒動あって、呑気に応援できなくなったところに現れたのが彼だ。あの時丁度雑誌で見かけた彼は、言ってしまえば「渡りに船」だった。
ワーキャー騒ぐことができるくらい美しいものなら、きっとなんでもよかったのだ。




今のリヴァーに対する気持ちは、もしかしたら今最も贔屓にしているアイドルたちへの気持ちと似ているかも知れない。



このブログでたびたび取り上げている、私の暑苦しく身勝手な思いの対象となっているアイドルたちは、今私が最も美しいと思っている人たちではない。はっきり言って、彼らより美しい人などいくらでもいる。
でも、私が見ていたいのは彼らだ。



どうしてだろう。



今好きなアイドルたち、とりわけ最近好きになった方のアイドルたちは、恐ろしいまでに優しく賢く強かだ。彼らが与えてくれる自由という名の部屋の中で、私はせっせと内側からその壁を厚くしている。気の向くままに落書きなんかもして、悦に入る。その部屋の中にいることはとても幸せだ。



...あれ、ということは、私はただひたすらに美しいものが好きなのではなくて、美しいものを気ままに扱える自由が好きなのではないか?
最も美しいものでなくとも、ある程度美しくて、快適な部屋を与えてくれるものであれば、なんでもよいのではないか?



...ということは、私の「好き」は、あの頃とそれほど、いや、全く、変わっていないのではないか?



では、今の私の、リヴァーに対する「好き」は、一体どこから来ているのだろう。






今年23歳になった私は、相変わらず美しいものに目がなくて、何かを悟ったような振りをして、アイドルたちを消費する。



もしかしたらリヴァーのことも、美しさとは違うフィールドで、まだそのように消費しているのかも知れない。




23年前の今日、23歳でなくなった、ということに託つけて、私は今、こうして彼のことを書いているのだから。