気の向くままに、心の記録

自称:ドルオタ(仮)。茶の間のくせに語りたがり。V6とVIXXは特別な存在です。彼らのことを中心にその他のことについても書きます。

リアル桃花源記

私はドルオタを自称しているけれど、最近、と言っても随分前から、それは本当に正しいのかという疑いを排することが出来ずにいます。何を以てドルオタと定義するのか、その前にアイドルという至極曖昧な存在をどう定義するのか、そもそも好きとは何なのか...そんなことを考えるようになりました。


何故そんなことを考えるようになったのかといえば、今の私には我を忘れるほどに好きなアイドルがいないからです。恐らく。


カイスタル事変のあと、私の好きは猛烈な勢いでV6とVIXXに向かいました(特に未知のVIXX)。言うまでもなく両グループともこの上なく素晴らしいです。けれど振り返ってみれば、ずっと好きでいれるような、ずっと好きでいさせてくれるような、つまり私が勝手に傷つく可能性を限りなく低くしてくれるアイドルであれば誰でも良かったのではないか、そう思えてならないのです。


コンサートや舞台などの所謂現場にあまり出向かない、新曲が出ても音盤や音源を必ず買う訳ではない、決して熱心に応援しているとは言えない身でありながら、私はドルオタであるということを自分のアイデンティティの一つとしてきました。


私はずっとカイスタル事変はないようであった私のドルオタ観を打ち破ってくれたものだと思っていたけれど、本当は逆で、この危険な思考をより強固にしたような気がします。



先月発表されたVIXXの「桃源郷」。敬愛する五柳先生の作品に着想を得たことが明らかにされた時点で浮かれ、次々に放出されるイメージ画像やティーザーにこれは間違いないと確信し、公開されたMVに痺れ、音楽番組で披露されたパフォーマンスにこれが俺たちのVIXXだと感涙しました。


でも私は一体彼らの何を見て、そんなことをやっていたのか。


音楽の教養があるでもなし、ダンスの教養があるでもなし、絶対的な審美眼があるでもなし、そんな私が彼らを正しく評価することが出来るのか、その素晴らしさを本当に理解することができるのか、アイドルを好きでいたいいなければという感情が一番初めにある者が曇りのない目で彼らを見ることは果たして可能なのか。


VIXXではない私が、何を偉そうに彼らの活動をまるで我がことのように思っているのか。


私の目に彼らが好ましく美しく優れたものとして映っていることに嘘はありません。他にも気にかけているグループはいくつかありますが、私にとっての一番は彼らだと自信を持って言い切ることが出来ます。


けれど、岡田くんを初めて見たときのような強い衝撃を受けることや、嵐を追っていたときのような得も言われぬ高揚感を味わうことは、今後もうないだろうと思います。


正直なところ、VIXXは昨年の壮大なギリシャ神話三部作を途中からでも追えたことにかなり満足してしまい、熱量が幾らか落ちてしまったことは否めないし、半年ほど前から気にかけているセブチにはその急激な進化に非常にワクワクさせてもらっているものの、どうもがっつりハマるというところまではいかないのです。


我を忘れるほど夢中になることがドルオタとしての最高の楽しみだ、と固く信じていた私にその現実はあまりにも辛いので、見て見ぬ振りというか、長くうやむやのままにしていましたが(多分嵐に飽きた頃には何となく気付いてた)、ここにきてもうどうしようもないことなのだと分かったので、認めるに至りました。


喜びや感動が私にとってもう新鮮でないことは、しかし私が思うことや感じることや彼らの存在やその素晴らしさを軽くしたり否定したりする理由には決してなりません。実際贔屓にしている(していた)アイドルを見ているとき、もう狂うほどに好きになることはないという微かな寂しさを感じながらも私は幸せだなあと思います。



だけどやっぱり。


V6やVIXXやセブチを筆頭に、たくさんのアイドルがこんなに素敵な姿を見せてくれている、自分は幸運にも見ることが出来ている、それが全てではないか、それで十分ではないか、そう思うのに満足出来ないのです。どれだけ素晴らしいものを見せてもらっても、ここは私の知る桃源郷ではない、と思うのです。だからその意味で言えば、私の好きは限りなく虚しいし、限りなく卑しい。そして何よりも大切な存在であるはずの相手に対し、限りなく失礼なのです。


まとまらない考えを、自己の主張の変遷を、書き散らしてそれで何か大きな問題を解決したような気になったところでふと思い出しました、あの結末、あの掟。



...ああこれは、リアル桃花源記、なのですね。



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